鹿島美術研究 年報第21号
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⑧ 日本戦時体制下の台湾画壇ー一台う弯の「聖戦美術」をめぐって一一—すでに松斎の日記および詩書画、七絃琴、策刻、煎茶にわたる松斎の文人趣味に関する基礎資料の整理は進んだため、それをもとに18世紀後半から19世紀前半にかけての北信濃をフィールドとして、地方文人と中央(江戸・上方)の著名な文人との交流や文化活動の実態を検証したい。また、地方における中央文人の遊歴と地方素封家との関係、文芸結社の活動、文房諸道具を中心とした美術作品収集・鑑賞の様相を各素封家の所蔵資料及び書画目録の調査等によって探り、江戸時代後期の地方市民社会における文人趣味の実態を明らかにしたい。方法としては山田松斎関係史資料を手がかりに、柏木如亭、亀田鵬斎ら江戸文人たちの信州遊歴に関わる資料や、さらに松斎に七絃琴を教えた駒沢清泉や信濃出身で江の文人交友のなかで活躍していた雲室上人に関わる資料の収集及び調査を実施し、信濃文人と都市の中央文人との交流や文化活動を検証する。また、江戸後期から明治期に至る山田松斎家の書画目録の検証、松斎との関係の深い信濃文人の旧蔵資料、具体的には山岸家(中野市)、山下家(須坂市)、並木家(佐久市)等各素封家の家別所蔵資料調査を実施する。研究者:京都大学大学院文学研究科博士後期課程「聖戦美術」への関心は、菊畑茂久馬の著作(1978年)によって始まり、田中日佐夫の論考(1985年)、司修の随筆(1992年)、丹尾安典と河田明久の共著(1996年)と続くが、いずれも日本の戦争画にしか焦点を当てていない。また戦闘場面を描いた「戦争記録画」を中心に論述しているため、聖戦美術の定義を狭くしてしまい、その全貌を掴むことができないうえ、植民地への影響を論じることもできないように思われる。一方、台湾においては、黄棋恵の修士論文(1997年提出、未出版)が戦争を題に扱った唯一の論考で、日本戦時体制下の台湾画壇の動向を詳しく紹介しているが、日本の聖戦美術の影響を論じていない上、台湾人画家の作品を従来の見方と同じように「時局を隠喩する」ものとしている。戦争画を避けてきた台湾美術史研究の現況の影響で、申請者は修士論文の執筆において陳澄波の画風を考察する際にも、そうしたものを念頭に入れなかったが、研究を進めるうちにそれらしきものに気づいた。しかし、その位置づけを行うために、まず李淑珠-37-

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