鹿島美術研究 年報第21号
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台湾の「聖戦美術」の存在(定義)を明らかにしなければならない。従って、本研究は申請者の博士論文のテーマである「陳澄波」という作家研究の最重要部分をなすものであり、聖戦美術研究に乏しい日本と台湾の研究現場に刺激を与え、参照される価値のある基本文献となるよう努力したい。構想としては、当時の画集を用いて日本の「聖戦美術」の範疇を定める。これを基準に在台日本人画家のものと台湾人画家のものを考察する。当時の画集には戦争記録画よりもナショナリズムのイデオロギーを表現したものの数が圧倒的に多い。例えば桜と富士山というモチーフが眼につく。しかし台湾人画家の作品には富士山に代わって、新高山が描かれている。これを台展(1927年創設)における「ローカルカラー」志向の延長として捉えることは果たして適切なのか。だが、ローカルカラーを扱う研究は多いなか、戦時という時代を背景に論考するものがない。日本精神が高らかに叫ばれるなかでの、ローカルカラーの意味を考える上でも、台湾の「聖戦美術」研究の意義は大きいと考えられる。⑨鎌倉時代金銅仏の鋳造技法に関する調査研究研究者:文化庁文化財部美術学芸課文化財調査官鎌倉時代において金銅仏は盛んに造像され、現存作例も多いが、その鋳造技法の実態は意外によく判っていない。原形には木型が用いられることが多かったと推測されているものの、未だ特定の作例で木型によると明言できるものはなかった。当代の代表作である鎌倉大仏の原型に関して土型木型の両説があることが、この問題についての研究状況を端的に示している。ここに木型を用いたことが明らかな作例ならびに木型そのものの存在が初めて検出されることは、研究を確実に一歩前進させると考えられる。殊に以下の点が注目される。・木型を用いた鋳造においては、中型をどのようにして造るかが問題となる。すなわち蝋型であれば中型をあらかじめ造った上に蝋を置いてゆく工程となり、土型では原型そのものの表面をひとまわり削り取った、いわゆる削り中型とするが、木型の場合はこのいずれの手法も使用できない。光勝寺像は像底に大きな開口部が設けられており、いずれの手法も使用できない。光勝寺像は像底に大きな開口部が設けられており、ファイバースコープにより像内を観察することで中型の状況を知ること奥健夫-38 -

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