⑬ 田村宗立関連資料の整理と紹介ナリティの解釈(分業制の否定)制作者の底辺の拡がり、ショナリズムとインターナショナリズム、展覧会制度、伝統の創出、などである。また、特に彫刻との比較を意識すれば、彩色の有無の問題、モニュメンタリティの問題が重要になってくる。特に、「彫刻」とのあわいに生じる問題は、申請者の関心の中心となるものである。もし、「人形」が「彫刻にあらざる人間像」の意であるとすれば、人形について考えることは、すなわち、その輪郭において、彫刻について考えることに等しい。人形芸術運動期には、森川杜園や竹内久ーといった、近代彫刻史の観点からは評価されにくい作家たちが、むしろ偉大な人形作家として再評価された。必ずしも実物のにこだわらない、彼らのいわゆる「人形的」な造形は、土着的な視覚による人間像の一種の抽象化と見ることもできよう。本研究により、こうした造形に対する評価のシステムを明らかにできれば、従来の日本近代彫刻史にモダニズムに対抗しうる新たな視座を提供することになるのではないか、と考えている。研究者:京都府京都文化博物館田村宗立はじめ、京都の初期の洋画家に関する研究は、近代美術史学の欠落部分である。京都における近代の洋画の歴史は明治35年の浅井忠の京都来住を起点に語られることが多い。日本近代洋画の展開の一翼を担い、多彩な人材を輩出してきた京都の洋画界については、浅井忠のもとから巣立った画家たちの目ざましい活躍によって、それ以前が見落とされがちであるが、京都の洋画にとって、浅井忠は一種の触媒的な、ひとつの契機的存在であったように思われる。田村宗立の業績をより詳しく正確に検証することで明治初期の西洋絵画及び草創期の洋画家をめぐる状況が明らかになってくれば、近世から近代への京都を含む関西の美術の歴史がより連続的に再構成されることになると思われる。田村宗立は、京都の洋画の先駆者であるのみならず、石版画及び印刷技術への関与、染織図案など産業との関わり、あるいは教師をつとめた京都府画学校西宗(西洋画科)が絵画教師を全国の学校へ送り込んでいることから地方への洋画の普及など、その業績は多方面に及んでいる。長舟洋司42 -と反写実:理想化、ナ
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