⑰ 萬鐵五郎による南画研究_大正15年を中心に一一研究者:九州大学大学院人文学府博士課程後期名方陽子従来、大正期における「南画」再評価については、美術史家や画家の言説を帝国主義の思想の観点から分析し、「東洋の中心である日本」「西洋よりも古い文化の伝統をもつ故に優れている日本」という意識と立場とを作り上げる意図があったとされてきた。その一端を示す画家の言説としてとりわけ引用されてきたのが、萬鐵五郎の南画論である。彼の文章を従来の視点から見れば、たしかに当時の帝国主義思想が反映されていることは否定できないが、しかし本研究では、彼の南画論は帝国主義思想の影響というよりもむしろその時代の中に生きる者の一般的な考え方という枠を越えていないと考えている。それは、彼の南画論と、同時期に制作された作品の全体を見渡し且つ詳細に分析したことで、彼が「南画」から学んだものは作画態度や造形そのものであったことが明らかになったからである。これによって、大正15年が彼の南画研究において独自の絵画表現を大いに発揮できた時期であったこともわかってきた。本研究の意義は、萬の死去する前年、大正15年に制作された同年の年記のある油絵を横断面に見ていくところにある。これは、同15年における彼の画風が具体的に明らかになるだけではない。裏面の木枠に貼られたラベルによって、従来ではほとんど知られていない未開催の画会に出品される予定であった作品の可能性がある。したがって、同15年に制作されだ油絵の作品調査は、彼の作画活動の新たな一面を明らかにできる。また、本研究の価値は萬による南画研究を体系的に見ていくところにある。従来、萬に対する評価は西洋の美術表現を試みた大正10年以前の油絵に集中してきたため、同10年以降に制作された作品については十分な研究がなされてきたとは言い難い。従来では、断片的に取りあげられてきた彼の理論と実践の両者をひとつの流れとして見ていく本研究の新しい視点は、萬鐵五郎がひいては当時の日本の美術界が何に立ち止まり、それをどのように越えようとしたのかという過程を探ることへつながる。55
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