⑱王蒙「太白山図」巻ーその写実性と独創性研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程福岡さち子は「元末四大家」の一人とされるように、その画は元末以降の画壇に多大な影響を与えた。しかし、現存する伝承作品のうち真跡と目される作品は極めて少ない。そのなかで、本図は真跡或いは真跡に近い模本だという可能性の高い数少ない作品の一つである。また、その伝来も概ね明らかで、こういった点からも本図は王蒙画として比較的信頼されるべき作品だといえるだろう。そして、上記した本図の制作背景から制作時期を概ね明代初頭とすることができ、王蒙画の編年という作業の上からも要な作品である。それにも関わらず、現在に至るまで本図が特に取り上げられ考察が加えられたことはなく、単に王蒙画中における異色の作品という認識が共有されているだけである。よって、本図についての研究は、王蒙画研究に必要不可欠なものであり、王蒙の影響力を考えれば、元代後期から明代初頭の画壇の様相を知る上でも重要なものである。また、本図は一時期、呉派の領袖である沈周が所有しており、著録などによると沈周自身が本図を臨模したとされる。沈周画は、管見の限り現存していないが、沈周をんだ呉麟なる画家が沈周からこれを借り受け臨模した作品が、「臨王蒙太白山図」巻として現在北京故宮博物院に所蔵されている。沈周をはじめとする呉派は、「紀遊図」と呼ばれる自らの遊んだ地を比較的写実的に描く山水を残している。本図は「紀遊図」の範疇に属するものではないが、その説明的・写実的な描写は、王蒙を学んだことで知られ、且つ本図を所有していたこともある沈周の画業に某かの影響を与えたことが推測される。本図についての研究から派生して、呉派の「紀遊図」への影響関係を考察することを通じ、元から明への絵画史の大きな流れの一端を窺い知ることが出来るのではないかと考えている。⑳近世伊勢物語絵研究_能との関わりを中心に_研究者:(社)霰会館資料展示委員会学芸員大口裕子日本美術や日本文学をはじめとする日本文化の特質として、教養が試される装置が仕組まれ「わかる人にはわかる」事を楽しむ点、また文学を絵画化した作品は特に、-56 -
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