鹿島美術研究 年報第21号
83/112

一『愛に囚われし心の書』へいたる寓意物語の装飾写本の系譜—⑳ フランス中世の世俗装飾写本の研究和歌の歌ことばがその歴史の中で積み重ねてきたイメージの堆積にも似て重層的なイメージをまとっている事が多い点があると私は考える。本研究はそのような日本美術の特質を念頭に置きながら、絵画にこめられたイメージやメッセージを読み解き味わうことを目的とする研究である。本研究の考察の対象とするのは、伊勢物語絵である。『伊勢物語』は、在原業平と目される人物を主人公とするが、それが10世紀の成立から時を越えて今日まで愛読・支持され、様々に造形されてきたのは、『伊勢物語』には、簡潔な本文のなかに人間の様々な愛情の形や心の軌跡が語られているからであろう。それは、主従、男女、親子間の愛情、人生を終えるときの感懐など心の機微を写し、普遍的であるが故に人々の心を捉えて離さない。『源氏物語』や『古今和歌集』と並んで知識階級にとって必須の教養の一つであった『伊勢物語』には、様々な解釈や造形を許容するだけの大きな器が備わっていたと考えられる。構想として、このような土壌を持つ、伊勢物語絵を考察することで、文学から絵画へという一方的な主従関係で文学の絵画化をとらえるのではなく、文学と絵画の双方向の関係、さらには、芸能や工芸といった多方向のベクトルが交錯する様相を丁寧に解きほぐし、明らかにしてゆきたいと考えている。以上のような見地から、絵画の典拠としてのみ文学作品を扱うのではなく、様々なジャンルの視点を集めた包括的な視座で伊勢物語絵を捉えなおすことで、各時代の人々が楽しんだであろう享受の姿に迫り、追体験できることの意義は大きいと考える。研究者:東京芸術大学美術学部非常勤講師田中久美子調査研究の目的は、フランス中世における世俗装飾写本を体系的に研究することにある。中世絵画において装飾写本は極めて重要な位置を占めており、写本画を対象とした研究では、数々のめざましい成果があげられている。しかしながら、従来の装飾写本の研究において、美術史学が対象とするのは、主に聖書、典礼書、祈祷書など宗教写本であり、フランス語で書かれた詩や物語を伝える世俗写本が取り上げられるこ-57-

元のページ  ../index.html#83

このブックを見る