鹿島美術研究 年報第21号
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覚を刺激する描写を行う。そのために、モチーフそのものの他に台となる机上にもモチーフを映り込ませて質感を強調する。大正期の新興美術を代表する村山知義は、面作品の中に立体感を持った材質を持ち込む一方で、平滑に仕上げられた表面の作品も制作している。中原実は新しい技術や素材を絵画に導入し、住谷磐根や河辺昌久らは機械や金属をモチーフとした。河辺はコラージュの技法も用いている。ここでは、これらの作品におけるもの取り上げ方や光沢の描写に着目し、質感の表現がどのように変容したのか、それがどのような関心に起因するのかを探る。このように、物の質感の表現の変容を明らかにすることの意義は、絵画が絵画の枠を越えていこうとする時に、西洋からの受容にとどまらない、日本油彩画にみられる実在感や物そのものに対してうかがえる関心の在処を考察できることにある。一方で、物への関心の在処を明らかにすることは、同時代の工芸や農民美術運動などの物づくりの文脈にも広がり得るものであり、その点においても意義がある。物の質感の表現には、写真や映像などの媒体からの影響も当然考えられるが、ここではまず油彩画を扱う。これはさらに広い表現領域へ踏み出すための一歩である。また、より広い構想として、本研究で検討する質感への意識は、1930年代以降に高まる「古典」への関心に技法や題材の点でつながり得るということにおいても価値あるものである。⑯ 1900年パリ万博におけるフィンランド館を頂点とする「フィンランド美術」の形成について研究者:独立行政法人国立美術館国立新美術館設立準備室研究員アクセリ・ガッレン=カッレラの絵画、またヘルマン・ゲセリウス、アルマス・リンドグレン、エリエル・サーリネンの建築では、同時期のヨーロッパ美術の流れを反映しつつもフィンランドという土地性やそこに住む人々のアイデンティティーを表現することに主眼が置かれた。彼らは、1900年のフィンランド館で一躍世界的脚光を浴びたのにも関わらず、十全に知られているわけではない。専らヨーロッパの「中心の動き」から外れたフィンランドなどの周縁に置かれた美術の歴史は、研究上必要とされる言語の問題等もあって等閑視され、これまで自国以外ではほとんど研究されていない傾向にある。本橋弥生-63 -

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