⑩ 遼代墳墓壁画の研究研究者:神戸大学大学院文化学研究科博士後期課程中国の北方地区に分布される遼代の壁画古墳は、二十世紀の初頭日本の学者により、はじめて慶陵が発見されてから、すでに八十歳月が経ち、その数は八十基以上に上つた。遼代の十世紀—十二世紀の間は、東アジア美術史の発展上、最も重要な一段階である。発達する宋代の美術は四方に伝播した。当時の東アジア各国は、唐・宋美術を受容のうえ、独自の美術を形成する重要な時期である。遼はその時代に、宋の美術を習って、独自の美術を持っている少数民族の王朝である。しかし、残念ながら、現在に残っている遼の美術品は少ない。それゆえ、遼代美術の様相を解明するのは難しい。けれども、近年に続けて発見された数多くの遼代墳墓壁画は遼代美術を研究するうえで最も貴重で確かな資料である。この資料と伝世する遼代らしい絵画作品を組み合わせて、遼代美術の様相を解明することが可能になった。ほかに壁画に画れている人物の服装、品物、及び風俗画などは、遼代の契丹族の服装制度、遼代の陶姿美術の発展と陶査器の類型の研究、及び契丹族の民俗の研究などにも貴重な参考資料になった。遼王朝は、その時代に日本と正式な国交がある国である。慶陵壁画の「四季山水図」と日本の平等院鳳凰堂の「九品往生来迎図」の背景としての四季山水図と共通点が多いことが学者によって指摘された。そのほかの遼代墳墓壁画と日本の平安後期の美術との関係があるのか、今後追究したい。貴財団の援助により研究調査に取った資料は、基礎データを作成した上で、神戸大学美術史研究会のホームページで公表するつもりだ。日本における遼代墳墓壁画の研究の一層の発展に役に立つと願う。⑪ 法然上人行状絵図及び浄土宗の祖師相承血脈の成立研究者:東北大学大学院文学研究科研究生本研究の目的は、現存する具体的な作例や文献に即して、中世の仏教信者たちが、プリンストン大学大学院美術史考古学科博士課程-68 -李天銘キョウ・ン不ードレベッカクレア(KehoeSinead Rebecca Clare)
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