どのような図像やイメージを重要視していたかということを検討し、特に浄土宗関係の事例に関する考察モデルを提示することである。この点に関しては、従来の研究はいまだ充分にはなされておらず、研究成果をだした暁には、中世仏教文化研究に大いに益するものと自負している。ところで、当然のことながら、中世の仏教信者たちは、すでに存在しているイメージを崇拝し続けたり、伝統的な構造(枠組み)を守ったりしていた。その一方で、同時代の思想・環境が反映されて、前代ではあり得ない美術作品もあらたに表象したのである。本研究では、とくに後者の事例を考察対象として集中的に論ずる。さて、本研究の意義とは、『法然上人行状絵図』や『浄土五祖絵』といった浄土宗美術の作例及び浄土宗における祖師観を明らかにする文献を考察することにより、中世における仏教美術に関して当時の認識を解明するところにある。すなわち、いわゆる鎌倉新仏教と呼ばれる国内で成立した様々な宗派のなかで、最初に登場する浄土宗の信者たちは、自宗を正統化・解説・宣伝するのに有効な視覚的な表現方法を選択するにあたって、広く浸透していた従来の、日本の仏教美術世界の評価という面で独特の立場を占めた。つまり、最終的に選択された構造(枠組み)は浄土宗の思想に適合した妥当な形象でありながら、鎌倉・南北朝時代の感性にも妥当な美術であったものである。それ故、中世の仏教美術に関して当時の認識を知る上でも、浄土宗美術は特に価値があると考えられる。具体的な例をあげれば、『二祖曼荼羅図』(知恩院・14世紀)は、禅宗より頂相の形象を引用し一方で絵解きに便利な掛幅画風高僧伝絵を組み合わせたものである。この一個の作品の解析によって、当時の仏教美術の競争的な環境を感得すると同時に、「祖師」といった重要な考えにあたって、どの表現方法が説得力があったのかについても、検討したい。ところで、このような浄土宗の作品は、中世の仏教美術における中心的な問題を現前化している。にもかかわらず、浄土宗美術の研究はあまり進んでいないのが現状である。さらに、浄土宗関係は、仏教美術を理解していくに際して、価値がないという意見を持つ学者も少なくないが、本研究はそうしたスタンス自体を疑い、あらたな視点で、浄土宗美術の考察モデルを示したいと目論んでいる。_ 69 -
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