本人画家と交流をもった英米画家の足跡については、不明な点が多い。そこで、改めて水彩画発展の基礎となったモーテイマ・メンピス、アルフレッド・イースト、アルフレッド・パーソン、ジョン・バーレーらの画業を再確認する必要が生じているように思われる。彼らの画業と日本の水彩画発展との関連を再検証したい。また、国内側でもこれまでその画業が明らかにされていない画家達の画業も検討する。現在全くといってよいほど顧みられない間部時雄、栗原忠二、水木伸一らをはじめとする作家の足跡を検証することは、貧困にあえぎつつも芸術への希求の炎を絶やさず持ち続けた明治洋画家たちの幅の広さと奥深さを知らしめるものと確信している。また、英語圏の美術の日本への影響を再認識されるものとなるであろう。特にイギリスのローヤルアカデミーに学んだ明治の水彩画家、石橋和訓ならびに、フランスとイギリスで学びイギリスで客死した間部時雄や栗原忠二。中村不折にデッサンカを高く評価され、ヨーロッパを逹巡し、孤高の画家今日無名の水木伸一らの画業の調査を通じて、その様相の一端を調査研究する。⑮ 中国金元時代の全真教関係美術研究者:成城大学大学院文学研究科博士課程後期田中知佐子道教は、現在正ー教と全真教の二つに大きく分かれるが、全真教は金代に誕生し、元代において特に大きな教勢を誇った。これは道教における「宗教改革」といわれるほど大きな運動で、特に禅宗を初めとした仏教の影響をきわめて大きく受けている。本研究ではこの宋代以降、とりわけ金〜元代において多く造られた全真教関係の諸美術群に注目し、調査・研究を行う予定である。これらの現存する作例は、山西省の龍山石窟や永楽宮などの寺観壁画、山東省の菜州石窟などにまとまって見ることができる。龍山石窟や永楽宮については日中両国の学者によりすでに全真教との関係が指摘されており、またおそらく関係が深いと考えられるいくつかの山西省の寺観壁画の図版等についても、最近立て続けに出版されつつある。とはいえ、各部の詳細な写真や解説の圧倒的な不足から、資料的にはやはり不十分の感が否めず、現地調査による真撮影および調書作成の補足が不可欠である。また、それ以上に資料の乏しい山東省の全真教関係の道教石窟についても同様に現地調査を進めていきたい。以上の成果を踏まえて、これらの道観における尊像構成や壁画の荘厳プログラムを解明し、全真教-73-
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