―13―通称“ポーリング”の技法による非形象絵画を確立した。これと同じ頃から晩年にかけて、この一種抽象化とは逆行するかに見える重要な実験的作品群、いわゆるカット・アウト・シリーズを手がけたのである。大島徹也氏の論考は大原美術館所蔵の《カット・アウト》を中心に、同シリーズに対するポロックの意図とその意義を、マティスとピカソの“再”受容という視点から新たに解読せんとする優れた研究である。ポロックが若い時からピカソに惹かれ、また1950年代にマティスの《千夜一夜》のような切り紙絵に霊感を得て制作したことは周知の通りである。特にカット・アウトの連作においては、ポーリングで塗布された厚紙をひと形に切り抜き、それを画布に貼り付けており、これらはマティスの試みである「デッサンと色彩の一体化」をポロック流に「ドローイングとペインティングを一体化したもの」(バーニス・ローズ)、さらには「オール・オーヴァーで視覚的な彼のスタイルを成形作用として結合させる」(マイケル・フリード)ものとして解釈されてきた。大島氏はこれまでの見解を踏まえつつ、カット・アウトとその貼り付け、重ね合わせや倒置などの中に、キュビスムのコラージュとマティスの切り紙絵の手法の応用的実践を見出そうとする。例えば、カット・アウトがフリードの言う単なる“視野の不在”に止まらず、切り抜きの下に異なる絵を重ね置くことに、大島氏は「視覚的ステンシリング」と呼ぶような成形作用を認めるのである。カット・アウト・シリーズは、彼自身の不慮の事故で中断されたとはいえ、ポード絵画を超えて新たな可能性を模索しようとしたポロックの苦闘の跡を示すものであり、大島氏の論考はこれまで凋落期とされた晩年にかけての創作の再評価を迫る考察として、誠に財団賞にふさわしい業績である。本年度(第11回)鹿島美術財団賞として、西洋を主題とするもののなかからは下記のごとくに選考された。まず、大島徹也「ジャクソン・ポロックのカット・アウト・シリーズ−マティスとピカソの同化の試み−」である。抽象表現主義の旗手ジャクソン・ポロックは三十歳代後半の1947年ごろ、描線や形体による表現を捨てて
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