鹿島美術研究 年報第22号
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―14―一方、駒田亜紀子氏の「13世紀フランスを中心とする聖書図像の伝播・交流に関する研究」は、『13世紀フランス語聖書』の挿絵入り写本二十点余りを実地調査したうえで、写本画家のレパートリーから各写本の制作地や年代、さらに図像の伝播・交流までをも綿密に検証しようとした意欲的論考である。また大久保恭子氏の「《ジャズ》−作品分析の方法論をめぐって−」は、晩年の切り紙絵シリーズの傑作《ジャズ》のオリジナル作品を実見調査し、形と色、図と地の関係ばかりでなく、題名、手書き文章、図像をめぐっても作品分析の方法に再検討の余地が多くあることを強くうながす論考である。これら両論は今後の成果も期待しつつ、優秀者に選ばれた。ついで、東洋・日本を主題とするものの中からは下記のごとくに選考された。まず、五月女晴恵「常盤源二光長周辺制作絵巻物群の研究−『伴大納言絵巻』の制作目的について−」である。五月女氏は常盤源二光長周辺で制作されたと考えられる絵巻物の傑作「伴大納言絵巻」に焦点を当てた。光長は後白河院の宮廷で活躍した絵師であり、また伝来の点からも、この絵巻が後白河院の命によって制作された可能性が推定されてきたが、単なる指摘に止まっていた。五月女氏は制作の背景として、後白河院の信仰態度や思想の反映があることを実証したのである。まず、これまで唱えられてきた御霊・伴善男鎮魂説に三つの点から再検討を加え、それのみには限定されないことを明らかにする。確かに、応天門の火事に続く災害・疫病ゆえに、御霊・伴善男を鎮魂する必要があったことは否定できない。しかし、それだけでは制作の背景を解明できないことを論証、平氏打倒の企てが失敗に帰し、権勢が衰えつつあった後白河院が、御霊神・伴善男の守護・救済の威力にすがりついた可能性を提示する。五月女氏は御霊神が恐ろしい祟りをもたらすものとして認識されていた一方、それを心から信仰しまつる人に対しては、厚い加護を与える存在としても尊崇されていたことを文献的に証拠立て、以上を結論としたのである。その過程において、一部失われた部分を復元し、同じく光長周辺で制作されたと推定される「彦火々出見尊絵巻(ひこほほでみのみことえまき)」との構成の類似を指摘した点なども興味深い。一方、岡戸氏は正岡子規が眺めていた画譜類を詳しく調べ、その上で書き残された文章を改めて読み直し、子規が何をどのようにみていたかという鑑賞の実相を明

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