―19―彩の永遠の葛藤」を乗り越え、晩年の新境地を切り開いたとみなされてきたのである。この新しい挑戦においてマチスが既に彩色された紙を切り抜いて形を作ったことから、その形は意味における中立的特質を得、ゆえにそれは自然から直接触発された画面上の等価物という縛りから解放されることになった。その結果、画面は自発的かつ即興的な効果を獲得し、作品は現実的経験の文脈から引き離されたと理解されたのであった。そしてこの手法は先立つキュビスムやダダのコラージュとは、作品と現実世界との関連において全く異なる質のものであるとされて、マチスとダダやシュルレアリスムとの関連は等閑視された。一方でピカソが装飾を手掛けた1917年の『パラード』とはその形式的類似において関連性が指摘され、さらに『ジャズ』の題名として初めにマチスが想定していたのが「サーカス」であったことから、双方に共通する意匠が認められると考えられた。このような『パラード』と『ジャズ』の意識的連動、ならびに『ジャズ』の図像の抽象的特質をもって、マチスはこの作品によって再び前衛に復帰したと受け止められたのである。図像に添えられた手書きの文章に関しては、マチスの「それらの役割はゆえに純粋に視覚的なものだ」という言葉を根拠として図像との意味上の関連は深く考察されることもなく、手書きの文章を添えるという発想にはピカソの影響があったと形式上の類似をもとに推測された。このようにこれまでの分析で重視されたのは作品の形式的特質と制作手法の特異性との関連であった。そしてそれらの分析が前提としていたのは、芸術を超歴史的なものと位置付け、歴史がはらむ動勢と切り離すことによって形式的意味を抽出し、もって作品解釈となすという「伝統」である。結果的に『ジャズ』は進化する前衛芸術家の新たな挑戦と位置付けられ、その進化が目指すのは抽象的形式にのっとった芸術的自律であったということになった。しかしながらこの視点からは、作品の構造に反映された共時的意味が見落とされてしまうのである。本発表では印刷された図版ではなく図像(オリジナル・マケット)の実見結果を踏まえて、これまでの作品分析では明らかにされなかった、もしくはそれらの指摘とは異なった事実を呈示し、制作年についての発表者の知見を明確にしたい。
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