―21―ト・シリーズの探求においてはマティスの芸術が大きな役割を果たしていたが、実にマティスの影響という視点は、ポロックのカット・アウト・シリーズのみならず彼の芸術全体を読み直す上での大きな鍵でもある。ポロックの画業を通してのマティス受容の問題については詳しくは他日に譲ることになるが、本発表で主として取り扱うポロックのカット・アウト・シリーズとマティスの『ジャズ』/切り紙絵の関係は、その問題において一つの核を成すものであり、ポロック芸術全体の再解釈へと通ずるものである。発表者:東北大学 専門研究員 五月女 晴 恵と。第三に、『今昔物語集』巻第二十七「或る所の膳部、善雄の伴の大納言の霊を見ける語第十一」に伴善男の霊が「行疫流行神」として登場すること。まずは、これら三点が、御霊・伴善男鎮魂説の根拠となり得るかどうかを検討したところ、それぞれ以下のように考えられた。第一の点として挙げた、「いかにくやしかりけん」という詞書末尾の表現については、当時広く流布していた説話の文章を採用したものであると考えられる。従って、この末尾の表現には、その説話が成立した当時の、伴善男の霊に対する人々の認識が反映されているとは考えられても、この表現によって、『伴大納言絵巻』の制作目的を特定するという方法は不十分なものだと言えるだろう。第二の点は、御霊であり怨霊である伴善男の顔貌は、敢えて明らかには描かれなかったという考え方に依拠したものである。しかし、顔が良く見えるように描かれてい『伴大納言絵巻』が制作された理由については、御霊となった伴善男を鎮魂することにあったという説が、数名の先学たちによって繰り返し唱えられて来た。それらの先行研究が、その根拠として挙げているものをまとめると、主に次の三点となる。第一に、下巻の詞書の末尾が、「いかにくやしかりけん」で締めくくられていること。第二に、伴善男の肖像(顔)が描かれていないこ「『伴大納言絵巻』の制作目的について−御霊・伴善男鎮魂説をめぐって−」
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