鹿島美術研究 年報第22号
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―22―『道賢上人冥途記』や、防疫神として信仰を集めた牛頭天王について記されている『祇園牛頭天王縁起』には、御霊神の両面性が良く現れていると言える。つまり、御る上巻第14紙の広廂に座す人物については、伴善男である可能性が残されていると考えられる。つまりは、上巻第13紙から第14紙にかけては、両料紙の間に当初は存在していた失われた一紙も含めて、絵巻特有の手法である、時間が逆行する手法と、出来事の結果をその原因よりも先に登場させるという手法とが用いられていたのではないかと考えられる。従って、失われた一紙を含む上巻第13紙から第14紙にかけては、以下のような内容が描かれていたと考える。第13紙に描かれた、向かって左から右へと歩いてくる人物は、清涼殿から失意の様子で退出して来たところであり、そして、この人物がそのような様子で退出して来た原因は第14紙に描かれており、それは、源信を捕らえるべきではないという藤原良房の申し入れが清和天皇に受け入れたことを、清涼殿の広廂で盗み聞きしたためである。このように考えられることから、広廂に座す人物には、伴善男である可能性が残されており、従って、第二の点は、成り立たないと言えるだろう。第三の点に挙げた『今昔物語集』の説話には、伴善男の霊が登場するが、その台詞を見直したところ、以下のようなことが読み取れた。すなわち、この説話が記された時点において、伴善男の霊は、生前の恨みを押さえきれずに、ひたすら害をもたらし続ける脅威的怨霊としてのみ認識されていたのではなく、場合によっては疫病を和らげたり防いだりもしてくれるような、言わば、祟りもするが救いもするという、まさに神としての認識されていたことが現れている。従って、第三の点は、伴大納言が御霊信仰の対象となっていたことを示すに止まらず、『今昔物語集』が成立した12世紀前半において、伴善男の霊が、人々を救済する側面も持つ神として認識されていたこと示すものだとも言えるだろう。以上のような考察結果を踏まえて、『伴大納言絵巻』の具体的な制作の契機を検討したところ以下のように考えられた。御霊信仰の対象として広く認識されていた菅原道真が太政威徳天となって登場する霊神とは、脅威的な祟りをもたらす存在として認識されていた反面、それを厚く祀り信仰する者に対しては絶大な守護・救済の威力をもって応える存在としても認識されていたことがわかる。さらには、『本朝世紀』天慶元年(939)九月二日の条からは、御霊神に、このような両面性を認める考え方が、当時の民間においても生じていたこ

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