鹿島美術研究 年報第22号
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―23― 東京美術講演会とが窺われる。『伴大納言絵巻』は、後白河院の命によって制作された可能性が高いと考えられるが、御霊会の励行に熱心であり、且つ、市井の文化に対して常に強い関心を持ち続けていた後白河院が注文主であったならば、『伴大納言絵巻』の制作目的は、御霊・伴善男の鎮魂だけには止まらないように思われる。「応天門の変」を題材とした説話を絵巻化するという、言わば、御霊神・伴善男を手厚く祀り奉る行為を執り行うことによって、その絶大な守護・救済の威力が後白河院自身に対して発揮されることを期待したのではないだろうか。安元三年(1177)四月二十八日に起こった安元の大火によって応天門が焼失したことが、「伴大納言絵巻」を制作する直接の契機となった可能性が早くから唱えられているが、注目すべきことは、この安元の大火に前後して、災害や天変地異等が当時連続して生じていたことである。それらの出来事は、御霊・伴善男を鎮魂する必要性を感じさせる要因となったと思われる。また、注文主として想定される後白河院においては、治承元年(1177)六月一日に起こった鹿ヵ谷の陰謀の露顕や、治承三年十一月二十日から治承四年五月十四日まで院自身が鳥羽殿に幽閉される等、その権勢に陰りが生じていた時期であることがわかり、御霊神・伴善男の守護・救済の威力を頼りとした可能性が考えられる。従って、「伴大納言絵巻」の制作目的は、御霊・伴善男を鎮魂する同時に、御霊神・伴善男に、その絶大な守護・救済の威力を発揮してもらうことにあったと考える。本年度の東京美術講演会は『古代壁画は生き残れるか』を総合テーマとして、高階秀爾・大原美術館館長の司会により、以下の通り実施された。日  時:2004年10月29日場  所:鹿島建設KIビル 大会議室出席者:約130名講  演:①「イタリア半島の古代壁画」東京大学大学院人文社会系研究科教授 青柳 正規

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