鹿島美術研究 年報第22号
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―33―研 究 者:学習院大学大学院 人文科学研究科 博士後期課程  尹   哲 圭日本と韓国において絵画史の分野の研究は、今まで自国の絵画と自国の画家だけを対象とする認識が強かった。しかし、18世紀という時期だけを見ても、当時東アジアの諸国ではそれぞれ活発な交流の活動が行われているのが分かる。絵画芸術の面でも例外ではなかった。日本での朝鮮通信使の受け入れと朝鮮での定期的に中国に派遣した使節団の存在がそれを物語る。本研究で池大雅と朝鮮の沈師正を比較する作業は今までの自国中心的絵画史の研究を乗り越え、東アジアという広い視座から絵画芸術の成果を再認識することに意味があると思う。また、今まで馴染まらなかった絵画史の分野の比較研究を通じて、東アジアの全域を対象とする絵画史研究の方法論の成立可能性がある意味で確認できると思う。三つ目は、池大雅と朝鮮の沈師正において初期の学画時期に焦点を当てることにして、同じ中国の絵画様式の受容に関する両国の文化及び芸術的な特徴がより具体的な姿として浮かび上げられると思う。両画家の若い時期を取り扱うことにおいて、特に周りの文化人あるいは文人社会との関係に照明を当てたい。まだ研究の過程であるため、断言はできないが、池大雅と沈師正にともに、周りに集まり、かれらの作業を励ましたり、支援してくれた人々は当時社会の主流から離れていた人々が多かった。文人画の伝統を受け継いでいる中国の南宗画はもともと高い精神性をもとにしている絵画様式である。池大雅が当時巨大なパワーを発揮していた狩野派とは無縁の位置におかれていたし、沈師正も祖父の科挙の不正行為で初めから出仕のできない環境に置かれていた点などは18世紀の社会において日本の南画と朝鮮南宗画が直面していた立場を理解することでも有益な示唆を与えると思う。研究目的の概要① 宗画を中心にした18世紀の日韓絵画の比較研究

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