鹿島美術研究 年報第22号
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―35―研 究 者:渋谷区立松濤美術館 主任学芸員  光 田 由 里「芸術写真」と呼ばれた潮流は、20世紀初頭から半世紀にわたり、世界中に広く浸透した国際様式だと言えるだろう。「芸術写真」界では通常「サロン」と呼ばれた国際コンクールがイギリス、フランス、アメリカ、日本、オーストラリア等で開かれ、両大戦間に極めて盛んであったことは、今ではほとんど忘れられている。郵送で応募できる写真サロンは、絵画など他のメディアに比べてはるかに国際的に開いていた。これは当時の芸術活動の他の分野にはなかったことである。日本人写真家たちのレベルは高く、各国の写真雑誌・年鑑を数多くの日本人達の作品が飾っていたことも、もっと知られるべきであろう。こうした活躍の場があることは、アマチュアでしかありえなかった写真作家たちの熱意を支える役割を果たしていた。日本人写真家たちは国際サロンにパスするために彼らなりの戦略を持って自らエキゾチックな題材を選び、日本的イメージを強調する作品を応募していたようだ。それらを調査し分析することで、日本人たちが海外における日本的イメージをどのようなものと考え、またそれを再生産したかを示す一例となるとともに、日本近代写真史の盲点のひとつを明らかにすることもできるはずである。研 究 者:チューリヒ大学 美術史研究所 博士課程  柿 沼 万里江クレーは、制作したものを年代順に登録し年ごとの通し番号をつけて整理した、作品総目録を残している。従来のクレー研究では、この総目録をもとに、全作品のクロノロジーを完全に再現できると信じられてきたし、現在刊行中のカタログ・レゾネも、これを基準に構成されている。しかし、実際に作品を厳密に観察してみると、作品を固定した形として記述し、ひとつの単線的なクロノロジーの中に静的に位置づけるレゾネからは説明のつけられない事象が確認される。例えば、ひとつの“独立した”作品が、その前後の作品系列や、あるいは(レゾネの上で)時代のかなり遡るまたは進んだ作品系列と繋がっていることが判明するのだ。そこで、単線的なクロノロジー観から脱して、作品を動的な制作プロセスの中に戻③ 国際写真サロン入選作にみる“日本のイメージ”――両大戦間の芸術写真――④ 支持体の両面を用いたパウル・クレー(1879−1940)の作品について

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