鹿島美術研究 年報第22号
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―37―アとして活躍したパオロ・ロッリがロンドンを根拠地にして行ったジョン・ミルトン『失楽園』のイタリア語翻訳が、ジョゼフ・アディソンの解題とともにヴェローナのアルベルト・トゥメルマーニ書店から出版されたことは、イタリア国内におけるイギリス思想の受容を考える上で非常に重要な事件である。この時期には同時にアイザック・ニュートン、ジョン・ロックの思想が、パドヴァの異端審問所の検閲を逃れてイタリアに紹介され、そして、ルクレティウスのイタリア語翻訳がアレッサンドロ・マルケッティによってイタリア語に翻訳されるに及び、もはやイタリアの知的環境は国境の枠を越え、極めて自由な思想傾向と、古典および伝統文学の再解釈および再発見という方向を見せる。そしてイギリス思想の紹介に大きく貢献したのがティエポロの友人、フランチェスコ・アルガロッティであった。またちょうどミルトンの『失楽園』が出版された2年後にはステファノ・ベネデット・パッラヴィチーニの全集がアルガロッティにより編纂され(1744年)、その中にはイタリア語訳によるジョン・ロックの『教育論』も含まれている。こうした環境の中でミルトンの挿図を描いたジャンバティスタ・ティエポロのこれまで完全に無視されてきた影の部分に今回新たに光を投じてみようとするのが、本研究の目的である。それにより、18世紀前半の絵画をめぐるヴェネトの知的環境が絵画文化と密接に結びついていることが明らかにされ、同時に当時の華やかな絵画様式からは見えにくい新たな側面を提示できることになる。研 究 者:韓国ソウル大学校博物館 客員研究員  金   寅 圭本研究の目的は日・韓の文化的交流で派生した日本内の朝鮮系窯址に対する全貌を明らかにし、それらの生産技術及び生産時期を明らかにする。具体的には次の四つの論点である。第一は16世紀・17世紀における朝鮮系窯址の全貌を把握すること。第二は、日本の朝鮮系窯址と韓国の京畿道、全羅道、慶尚道地方の白磁窯址との比較を通じて、日本内の韓国陶磁技術の転八過程を明らかにすること。第三は、日本の白磁生産過程における、朝鮮技術と中国の技術との区分を明確にし、日本の白磁出現において朝鮮陶磁技術の転八過程をより明確にすること。第四はこうした朝鮮系窯址が日本の西部地域のではなく、畿内の陶磁器にどのような関係をもっていたかを明確にすること。⑥ 佐賀県有田市所在の朝鮮系窯址についての考察

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