―38―以上、総合的に、本研究の目的は、日・韓の陶磁器の比較研究を通じて、日本での白磁の出現過程を明らかにすることである。――ニューヨークでの展覧会を手がかりとして――研 究 者:群馬県立館林美術館 主任学芸員 伊 藤 佳 之1946(昭和21年)12月に、福沢一郎は東京・銀座の日動画廊で「ダンテ神曲地獄篇による幻想より」と題した個展を開催する。戦前から前衛絵画運動の擁護者として、また美術団体「美術文化協会」の主要メンバーとして活躍し、1941(昭和16)年には治安維持法違反の嫌疑により獄中の人となった彼が、戦争の爪痕生々しい東京で個展を開催したことは、当時の画家や評論家の注目の的となった。そしてここに展示された作品の多くは、ある米軍少尉によって買い取られ、アメリカに渡ったという。このことについては、作家自身の証言が遺るほか、このとき持ち去られた作品が展示されたといわれる展覧会「戦後日本の15人の新たな芸術家たち」(ニューヨーク、として、アメリカに渡った福沢一郎作品の調査を中心としてすすめることとなる。本研究の目的は、終戦直後の福沢作品に関するデータの収集及び分析により、この時期の制作が彼の画業において占める位置及びその意義を明らかにすることを第一とするが、同時に、この時期アメリカに大量に流出したとされる日本美術のうち、同時代の絵画が、かの地でどのように紹介され、どのように受け入れられていたかを明らかにし、日本美術のアメリカにおける受容の一側面と捉え考察を加えることも、もうひとつの目的として付け加えたい。研 究 者:東京大学 東洋文化研究所 助教授 板 倉 聖 哲江戸時代までの日本絵画の展開は中国絵画の様式に大きく拠っていることは確かである。その関係は単なる同時代の影響関係ではなく非常に複雑なものである。近年では、中・日両者の間にタイム・ラグが存在したり、双方向の関係があったり、又、受⑦ 終戦直後の福沢一郎作品に関する研究1947年)の招待状が、遺族の許で確認されている。本研究は、この展覧会を手がかり⑧ 十七世紀日本絵画における中国像
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