―42―研 究 者:財団法人大和文華館 学芸部 部員 瀧 朝 子水月観音図と称される図像は、敦煌莫高窟の壁画及び紙本・絹本画に五代から西夏支配時期までが残存するため、重要な基本資料といえる。それに対して水月観音図を創始したとされる周が活躍した中国中原では、同様の図像は宋代の木彫像には多々見られるものの単純比較は難しく、絵画作品では明時代以前のものは知られていない。西夏時代の経典見返し絵などに見られる版画がこの間を埋める手がかりとなると考えられるが、敦煌地域と中原のつながりを見いだすためには、まず、早期の図像が多く残存する敦煌地域における西夏時代の図像を、敦煌の特殊な地域性を考慮して位置付ける必要がある。その際には、敦煌作例の中で安西東千仏洞第2窟に描かれた水月観音図(西夏時代)が最も代表的で重要と考える。その理由として、東千仏洞の図像は宋時代までの水月観音像の図様と構図の両面においてまとめられた様式を示し、同時に西夏時代以降の図像に見られる新しい要素を複数含んでいるという点を挙げる。さらに、大画面に精緻に描き込まれ、保存状態が比較的良いために図像の細部までが確認できる。また、石窟内の構造及び描かれた位置、他の画題との関連性は図像の解釈にとって重要な要素であり、本窟の図像構成を含めた調査が必要と考える。断片的な図版資料の公開にとどまっている莫高窟以外の周辺石窟を調査対象とする意義は大きく、調査結果の公表が今後の石窟研究にも有益な資料となることを信じている。以上の観点から本研究では、早期の作例が多く集中する敦煌地域の石窟壁画(特に安西東千仏洞と五個廟石窟)に描かれた水月観音図を調査し、新たな図像解釈を提示したい。敦煌地域の水月観音図像の再検討は、西夏地域や高麗、中国中原の水月観音像及び信仰を考える上で基礎的かつ大変重要な研究と考える。また、水月観音像の地域的な広がりと同様に、鏡面に仏像等を線刻した鏡像は日本・中国・朝鮮半島に作例が認められる。朝鮮半島の鏡像に水月観音像が刻まれるものが多いことや京都・清涼時蔵水月観音鏡像の存在は、鏡像と水月観音像が深く関連することを示唆しており、今後、水月観音の信仰及び図像の伝播に関する考察は、鏡像の問題につなげていくことを考えている。⑫ 西夏時代敦煌の水月観音図研究
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