鹿島美術研究 年報第22号
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―47―ト式ヘルマ柱」は丸彫り彫刻のみならず浮彫や壁画表現など膨大な作例を有する一大ジャンルを形成している。またこのタイプのヘルマ柱は、ローマ世界で一大発展を遂げたのみならず、時代が下って近代ヨーロッパ美術にも散見し、その年代的・地理的波及には目を見張るものがある。にもかかわらず、「マント式ヘルマ柱」に的を絞った研究は現在に至るまでほとんど行われていない。そのため、そのデータ集成だけでも大きな意義を持つことは疑いを得ない。そしてさらにその年代的・地域的変遷を追うことで、ローマ人の趣味が次第に明確な形を取り、ギリシア美術の変容に積極的に関与していった様子が確認されることとなろう。旧来、ローマ時代の美術の特質は肖像と歴史的浮彫にあるとされていたため、プロトタイプがギリシア時代に見出されるマント式ヘルマ柱のような装飾彫刻は「ギリシア美術」という枠組みの中へ追いやられ、研究対象の外に置かれていた。しかし、ローマ人たちの私邸を飾り、彼らの身近に存在していたのはまさにこの「ギリシア美術」であり、その存在を無視したローマ美術史は、彼らの世界の半分を見失っているに等しい。ローマでは、帝政期になっても彫刻家はギリシア人が大多数であったが、彼らが制作する「ギリシア美術」はまぎれもなく注文主であるローマ人の意志を反映していた。彼らはギリシア人とは違った美意識を持ち、それに適合するようなギリシア的要素を選択的に採り入れただけではない。自分たちの趣味に合うように、積極的にギリシア美術を変容させ、ローマ化すなわち世界スタンダード化し、近代ヨーロッパにも受け入れられ得るものへと発展させた。申請者の「マント式ヘルマ柱」の考察によって、その具体的な様相と変遷が明らかとなろう。研 究 者:神奈川県立歴史博物館 学芸部 専門学芸員  薄 井 和 男本研究の目的は、時宗成立期において教団が選択した、本尊阿弥陀像とはどのようなものであったか、その形式・作風・作者系統などを明らかにして提示する点にある。既に私の手元にある蓄積されたデータから、快慶(安阿弥)様や宋風の三尺阿弥陀像が研究対象の中軸となることは予想され、おのずと本研究の内容は鎌倉後期以降の阿弥陀像の諸相の変化・変質をみることとなろう。結果として、本研究は鎌倉後期〜南北朝期にかけての彫刻史の展開に多少なりとも⑱ 時宗成立期の本尊 ――阿弥陀像に関する研究――

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