鹿島美術研究 年報第22号
69/108

―52―:岩手県内の戦後美術に関する基礎的研究に気づく。一方、室町時代の仲安真康「富嶽図」(根津美術館)や狩野元信「富士参詣曼荼羅図」(富士山本宮浅間大社)を見ると、富士は画面の中央に左右対称で描かれる。両図ともにその高さを強調しており、とりわけ元信の場合は霊性を表現している。ところで、富士が画面中央ではなく山容が左右非対称である早期の作例としては、狩野探幽「富士山図」(静岡県立美術館)が挙げられる。探幽の富士図は桑山玉洲によれば、江戸時代において富士図の典型として認識されていた。本研究では、わが国の富士図における構図の変容を考察し、霊山としてのそれから風景画としての富士図の成立を検証するものである。研 究 者:岩手県立美術館 専門学芸員  根 本 亮 子本研究の目的は二つある。第一は、戦後岩手県内で開催された展覧会や各種の美術運動に関する一次資料の調査を行ってそれらの実態を探るとともに、各資料をデータベース化して岩手の現代美術史の研究基盤を作成すること。第二に、調査対象のうち、とりわけ60年代から70年代に盛岡周辺で見られた前衛的な動向に着目し、同時代の県内の美術界や、中央における美術との関係性を探ることである。岩手県における戦後美術の動向に関しては、盛岡在住の画家・細野金三による『岩手美術小史−洋画を主体として』(私家版、1976年)、『昭和中期 岩手の美術−おぼえがき』(私家版、1982年)等の著作や、萬鐵五郎記念美術館(1984年開館)が開催してきた「岩手の現代作家」シリーズを始めとする展覧会によって、これまでにも紹介されてきている。特に細野の著書には戦後から70年代にかけての県内各地の展覧会記録や、主要な出来事、資料の写真、細野自身の回想などが収録されており、資料集としても貴重である。しかし私家版であるゆえにその存在はあまり知られておらず、情報の精度について判断し難い等の問題もある。他方展覧会については、先に挙げたもの以外にも、戦後活躍した作家を取り上げた展覧会が県内で開催されつつあるが、いずれも個々の作家の作品紹介、あるいは地元における作家の顕彰という文脈にとどまり、美術史的な位置付けを欠いている。本研究ではこれまで判明している各種のデータに、新たな資料や生きた証言を加え

元のページ  ../index.html#69

このブックを見る