鹿島美術研究 年報第22号
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―56―J. M. W. ターナーの絵画における空間表象dualisticな世界とは異なる表象を描くことで、ターナーは近代に先駆する芸術家とし――その自然観とコスモロジーに関して――研 究 者:活水女子大学 健康生活学部 助教授  津 田 礼 子古代ギリシア、中世(キリスト教的世界観)、バロックの表象に見られる二元論的て汎自然主義的世界観に帰結する。近年、自然・環境との共生が改めて問われる中で、ヨーロッパにおける汎神論の系譜を辿りながら、ターナーの造形表現における世界観と問うことは、従来あまり行われなかった。この近代的な世界観を発想して追究する意義は大きいと考えられる。また、ターナーの描いた風景の多くがイングランド、ウエールズ、スコットランドの自然であり、その風景の持つ性格がそうした世界観を生み出したとすれば、「場」の持つゲニウス・ロッキgenius locciを含むトポロジーとコスモロジーとの関係も視座に入れて考察することとなり、今日安易に言われているグローバライゼイションへの批判ともなる。ターナーが強く自然との一体感を求めたのは、人間が自然との乖離を強く感じるようになったことが要因として挙げられる。リンゼイによれば、不断に動き、変容し、新たに生成されるダイナミックな世界のヴィジョンは、ターナーがトムソンから得たものであるが、まだトムソンにおいては認識されていなかった(「自然と人間との間に亀裂がある」という)意識は、ターナーにおいて顕著な形相をとるようになり、それが彼の絵画表現の独自性として示唆されている。加えて、近代社会の到来は、産業主義とそれに伴う機械の製造技術を生み、都市の在り方も変貌させ、人間と自然との乖離はさらに強くなった。不可知論者と言われるターナーの絵画は、静謐な光に包まれている一方で、絶望的な叫びを上げる。自然の永遠性と人間のはかなさを描きながら、ここには「自然から生まれ自然に帰る」という「無」の観念、ある種の諦観がみられると同時に、注目したい点は、ターナーが自然を‘healing existence’(癒す存在)と言っていることである。ここには近代以降、そして現代の人間が置かれている状況と通底するものがある。従って、以上の問題の探究は美術研究の価値ある課題であると考える。ターナーが直面したイギリス社会は18世紀後半から19世紀にかけて、ロマン主義期から近代への過渡期であった。ヨーロッパにおいては17世紀に古典的なコスモロジー

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