―60―像については、「涅槃」など一部の場面については、顕著な成果が認められるが、その他の場面の研究は十分とはいえない。「誕生」は仏伝中でも八相に入る重要な場面で、その作例はアジア全域で、時代を超えて存在し、図像学的に重要なものである。従来の東アジアにおける「釈迦誕生」に関する図像研究は、中国、朝鮮半島、日本とも古代が中心で、現象面での変化を追うにとどまるものが多く、図像的変化の背景や要因を探る研究は殆どみられない。また、中世以降の系統的研究や東アジアにおける地域間の相互影響について検討する試みもなされていない。本研究は、東アジアの諸地域、中国、朝鮮半島、日本の「釈迦誕生」の図像を比較し、その歴史的変遷と地域的な特性をあきらかにしようとするものである。具体的には、取り上げられる事の少ない、13〜16世紀の作例を対象とする。古代の状況を踏まえたうえで、近世を視野に入れ、「釈迦誕生」の図像を歴史的流れの中で系統的にとらえていく。また、地域的な特性を成立、維持させた要因として、仏誕日の儀礼灌仏会に着目する。灌仏会は中国では後漢から日本でも推古朝から行われており、この時期になると、東アジアのいずれの地域でも伝統的儀礼となっている。単に、悉達太子の誕生を祝う儀礼にとどまらず、各地域の民間習俗を取り込み、独自の解釈を付加したものとなっていた蓋然性が高い。この点を解明できれば、日中の「釈迦誕生」の図像の相違が理解しやすくなる。そのうえで、東アジア諸地域の「釈迦誕生」の図像の比較検討を行い、その地域的特性をあきらかにしたい。また、この時期、日本では肉髻があり、長裙を着ける悉達太子を主役とする「誕生」の図像がすでに確立している。そこに、中国・朝鮮半島より裸形ないしは、それに近い、肉髻のない悉達太子という新たな図像がもたらされる。この図像の差は、誕生の悉達太子に、東アジアの諸地域で、異なった意味付けが付加されていることの反映とみられる。日本において、伝統的解釈に裏打ちされた図像が存在する場合、外来の新図像の取捨選択がどのように行われたのか、この点について分析をすすめたい。外来図像の受容は、日本美術史の普遍的課題であるが、「釈迦誕生」の図像を通して、中世以降の外来図像の受容と改変のメカニズムの一端をあきらかにできればと考えている。
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