鹿島美術研究 年報第22号
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―61―=幕末明治における「神功皇后」の表象Melanie Trede研 究 者:ハイデルベルク大学 美術史学科 東洋美術史研究所 教授本研究の目的は最近注目されてきている幕末明治の歴史画やそのなかの女神や女性表象を再検討するものである。従来そのテーマに関しては、個人画家や展覧会、あるいは特定のテーマや人物などが研究されてきたが、「神功皇后」の表象に注目するものはほとんどなかった。近年出版された若桑みどり著『皇后の肖像』は、多少「神功皇后」に触れてはいるが、絵画や版画のみを扱うのに加え、神功皇后の多様な役割、つまり八幡縁起の視覚的解釈や、助産婦の女神としての意味や、端午の中の機能などを総合的に考察する視点は見られない。また、「神功皇后」の曖昧なジェンダーも注目されるべきである。「神功皇后」は妊娠しながら三韓に出陣し、合戦以前に男装するので、女性性があふれる半面、男性性も演じている。妻や母性としての模範的役割を演じると同時に、国のために戦うという側面も持っていたことが、「神功皇后」の表象が幕末明治に流行した大きな要因と推測される。「神功皇后」の「肖像」は紙幣や新聞紙に利用され、国中に流布されたことにより、国家の守護神あるいは日本帝国の国際政治の象徴となった。そのような神功皇后像は、フランスのジャンヌ・ダルクやキリスト教地域に崇拝される聖母にも比較できよう。キリスト教での豊富な女性聖人や聖母に匹敵する機能を有していたのが、国民国家形成期における「神功皇后」の表象であったように思われる。本研究は、日本における八幡縁起絵の研究という大テーマの一環をなしている。八幡縁起絵巻研究では、神話・物語をもとに具体的な作品(14世紀末の掛幅として玉垂宮縁起や志賀海神社縁起;1433年制作足利義教奉納、八幡縁起絵巻群;福岡筥崎八幡宮所蔵1672年の住吉具慶制作の八幡縁起絵巻、そして幕末明治における「神功皇后」の表象)を様々な方法論から分析する。本研究は、特定の時代や画題についての個別研究であると同時に、方法論的には最新の問題意識を反映し、かつ、時代を通覧するパースペクティヴをも有している点に、大きな意義が認められよう。

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