鹿島美術研究 年報第22号
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―63―@中世日本における舶載裂の受容と伝播 ――能装束に使用される布帛を中心に――踏まえた解釈は不可欠なものとなりつつある。しかしながら、近代日本画研究では、博物館、美術館が研究の主体であることもその一因であるが、作家研究と作品解説が中心であり、同時代の文化的な背景を踏まえた作品解釈が依然として十分になされているとはいえない。そのため申請者は、これまで原三渓のパトロンとしての活動とコレクションの形成過程、博物館政策と古美術蒐集の実態の解明と、それらに基づいた作品解釈を行ってきた。そして、これまでの研究から、「仏教美術の再評価」の過程と、その認識を広める場としての展示が、近代における美術の受容の様相と日本画作品を解明する有力な手掛かりとなることを確信するに至った。幕末から明治にかけ、西洋から新たな概念として受容された「美術」の概念は、古美術、とりわけ仏教美術を「古典」として最初にA・F・フェノロサ、岡倉天心ら美術行政関係者に認識され、それはその後、仏教美術品を中心に美術を蒐集し、戦後私立美術館を設立した近代数寄者らに共有された。博物館は、そうした古典を自由に鑑賞できる貴重な学習の場として構想され、実際に古美術展観という形でこの新しい概念の普及に大きな役割を果たしていったと考えられる。さらに、近代数寄者たちは、自己のコレクションを近代日本画家たちに鑑賞させ、画題を示唆し、同時に支援する画家たちの作品の最初の鑑賞者として、その評価にも深い影響を与えたのである。以上を踏まえ、本申請研究では、日本画家の制作に博物館を初めとした古美術展観がどのような影響を与えたのかについて調査に基づき具体的に明らかにする。また同時に近代数寄者の古美術蒐集の形成過程を資料の実証的な分析を行った上、日本画への影響を考察する。こうした一連の美術の受容と創造の連鎖を解明することにより、これまでにない観点からの作品解釈を行うことが、本申請研究の目的である。研 究 者:東京国立博物館 文化財部 列品課  小 山 弓弦葉「唐物」という呼称で知られるように、中世日本には、多くの中国産の文物が日本に舶載された。金襴・緞子・印金といった染織品は軽量で運搬しやすい形状であり、かつ、上流社会の日常生活において欠かせない物であったことから、貨幣の代用として輸入された。古渡り裂の研究の主流である名物裂は、現代もなお、伝統文化として

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