―65―B康煕年間の琺瑯彩における「満」「漢」「洋」の表象内を飾る絵画とは障壁画に限られるものではない。宮中で頻繁に行われる年中行事や儀式には故実にのっとった各種屏風が調度として用いられ、それらは適宜、点検・修復や新調を行い、必要なとき必要な数を敷設すべく準備されていた。こうした屏風の調進はいわばより日常的な画事の機会であり、絵師が芸術家というよりは職人に近かった近世の絵画史を語るにあたって看過し得ない事例といえよう。しかし従来、この日常的なケースについての研究は、管見の限りほとんどなされてこなかった。大宋屏風もまた日常的に用いられる調度のひとつであり、京都御所に伝わる現存資料もしられる。にもかかわらず、通常何隻用意されており、誰がいつ修復・新調したのか、絵様の変遷やその変更の経緯など、具体的な実態についてはほとんど追究されていない。本研究は、大宋屏風について初めての多角的な検証・考察であり、等閑視されてきた宮中の日常的な画事の一例を明らかにする試みである。のみならず、美術史学ではわずかに冷泉為恭の伝記研究に用いられる程度でほとんど用いられてはこなかった出納平田家の資料を活用し、その可能性を実証する点、また、近世に視座を置きながら時に中世・近代へも視線をむけより広い視野でひとつの調度の遍歴を追う点、などにおいて、宮中障屏画の研究に新たな視野と方法論とを提案するものと自負する。美術史学ではしばしば周辺学問領域からの乖離がみられ、近年はその反省から学際的な視点が試みられつつある。本研究においても日本史学や有職研究、建築・調度史などの視点が不可欠であり、申請者は学芸員として近世公家文化を扱ってきた経験を活かし、取り組みたいと考えている。――漢人高官への下賜品としての側面――研 究 者:昭和大学 教養部 非常勤講師 柏 木 麻 里中国陶磁研究史上、清朝官窯は中国陶磁の集大成を行ったととらえられるが、陶磁史における「中華」とは何か、清朝陶磁における「中華」の伝統と陶磁器創出の主体であった清朝宮廷の「外夷(満州)」性の関わりはどのようなものであったのかという視点からの考察は試みられていない。本研究の意義は従来西洋の影響という点から語られてきた琺瑯彩に、「満」と「漢」の位相を加えて見直し、琺瑯彩が生み出され
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