―66―Cプラハ・マニエリスム期のルドルフ宮廷における「帝国」の表象「中華」文化の創出という文化政策を浮かび上がらせることを、本研究の先に構想した文化的枠組を示そうとする点にある。本研究はまた、個別に論じられることの多い紫禁城造弁処製の琺瑯彩と、景徳鎮官窯製の青花・五彩・粉彩・単色釉磁器を総合的に扱う、より大きな清朝陶磁史を編むための基礎研究となることを目標としている。申請者は本研究を、順治・康煕・雍正・乾隆帝の治世、清朝前期の清王朝による中国支配と芸術の創出という大きな問題の一環ととらえている。琺瑯彩・粉彩といった清朝の「新製」磁器と、一見その対極にも映る単色釉など「倣古」磁器を車の両輪と考えた上で、清朝陶磁史の大きな柱であった、清王朝という「外夷」による新たなている。そして近世から近代へ続く道筋の上で、十八世紀東アジア美術における「洋」とは何であったのか、あるいはどのような作用としてはたらいたのかという問題に対する、一つの事例を提示したいと考える。――インプレーザ集『神と人間の象徴』の成立過程をめぐって――研 究 者:千葉大学大学院 社会文化科学研究科 博士課程後期プラハ・マニエリスムの研究は、G.ハインリッヒやG.フランツのプラハ・マニエリスム様式論やL.コネチュニーやE.フチコーヴァの個別の画家のマニエリスム受容論のように、宮廷画家が制作した作品の図像源を探るという影響と受容の問題を中心に論じられてきた。しかしながら、申請者は国内外の調査により、ルドルフ宮廷の視覚表象の分析には、歴史的な必然性を備えた図像が生み出される過程の調査が不可欠であると強く実感している。そのため申請者はルドルフ宮廷を、積極的に新たな図像伝統を制作した「生産」の場と位置付け、研究を進めている。本研究では、イタリアやネーデルラントを中心とするマニエリスムの伝統の影響を受けつつも、それとは異なる独自の展開を図ったルドルフ宮廷下の視覚芸術に着目する。この際、申請者はルドルフ宮廷下の視覚芸術が神聖ローマ帝国という多民族国家の内包する文化、民族、宗教上の異なる「他者」をいかに表象したかという従来詳細に考察されなかった問題に注目する。『神と人間の象徴』及びその制作準備段階の稿本が成立した1590年小 川 浩 史
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