―71―バングラデシュ美術の成立に果たしたチッタゴン派の役割の香炉形態と尊名を究明することにある。加えて、香炉がある仏像とない仏像の違いによって当時の礼拝像の機能とその目的を推定する点と、柄香炉を持っている供養者によって行香と仏像との関係について明らかにすることにある。研 究 者:福岡アジア美術館 学芸員 五十嵐 理 奈本研究は、バングラデシュの国づくりとともに展開したこの国独自の「美術」の成立過程を精査し、さらにその成立に際し地方都市チッタゴンで発展した美術の動向が果たした役割を見出すことを目的としている。さらに、現在チッタゴンを拠点として活動する現代美術作家(チッタゴン派)が、どのようなまとまりを持って、今後のチッタゴン美術の発展に寄与しようとしているのかを展望する。申請者は、1998年から5年以上にわたり、バングラデシュの民俗芸術について長期の現地調査に基づく研究を行ってきた。その中で、バングラデシュを含むベンガル地方の日用品(刺繍布)が国の独立とともに民俗芸術の地位を与えられ、さらに手工芸品という商品となる変遷過程を追い、モノの価値転換の経緯を明らかにした。この研究の中で、民俗芸術が商品となると同時に、ひとつの「美術」としても成立していることが分かり、この国独自の「美術」の成立過程を精査することの重要性を認識するに至った。ここで注目すべきことは、バングラデシュ美術の形成は首都ダッカを中心に展開されただけではなく、第二の都市チッタゴンでの活動からも大きな影響を受けていたということである。港湾貿易の拠点として発達したチッタゴンは、諸外国との交流が盛んな都市であり、ダッカとは異なる独自の美術が発展した。色鮮やかな原色と物語性に富む構成を特徴とするチッタゴン派は、自由奔放な独創性を持つ。その背景には、チッタゴンの美術の基礎を築いたラシッド・チョードリーの優れた教育指導、教育機関や展覧会などの制度整備などがあった。ある国家の独立時に、特定の視覚表現が国の「美術」として価値づけられることは多くの国に共通する現象である。しかし本研究では、それを欧米や首都などの中心に重点を置く「中心―周縁」の思想によって捉えるのはではなく、地方都市の美術がその国全体の美術に与えた影響、また地方都市だからこそ自由で独自の発想を花開かせることができたことに焦点をあてる。それは、とかく欧米中心主義の研究に陥りがち
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