鹿島美術研究 年報第22号
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―76―G東大寺の成立過程に関する研究観は画家の生涯を貫くものと了承されていることから、本研究は、画家ベラスケス像のより一層の解明にも大きく貢献しうるものである。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  児 島 大 輔本研究の目的は、東大寺上院地区を研究することによって、いまだ解明されていない東大寺の成立過程を明らかにしようとするものである。これまでの美術史的手法による研究は、主観的な様式把握、恣意的な史料解釈、他分野の研究成果の安易な引用といった、よるべからざる点に立脚したものが多く見受けられる。したがって、本研究ではこれまでの研究史の検証とともに、実地調査・文献史料の解読という徹底した基礎作業にこだわりたい。具体的には、正倉院文書における堂・院の名称とそこに付随する事象のデータベース化を試み、これに基づいて『続日本紀』、『東大寺要録』等の二次史料の解読、経典の理解、さらに現存作例の観察および諸史料との照合を通じて総合的に上院地区の造営、再編を経て東大寺へと発展的に解消を遂げるまでを追い、東大寺の成立過程を明らかにしたい。これまでの研究成果から法華堂不空羂索観音像と千手堂廬舎那仏像は天平18年頃の良弁による上院地区再編にともなって同所に安置された可能性が高い。したがって、本研究ではまずこれ以前の上院地区の動向を探ることが最初の課題となる。この上院地区の草創期を明らかにするために有効なのが正倉院文書にあらわれる堂や院の名称であり、そこに所属する人物名あるいは所蔵する経典名などを含め今後の研究に資するべく、これらの事項をデータベース化する。つぎに、現存作例を考えると、千手観音像および不空羂索観音像は当時の最新の知識であったはずで、これらを造像するにはきわめて高度な、最先端の仏典の理解が必要とされたはずである。ただし、天平期に遡りうる千手観音像・不空羂索観音像は現存する作例に乏しく、唐代の作例や平安期以降の再興像などにも目を向けながら調査研究を進めることとなるが、これらをあわせ考えれば多少の比較検討の材料足り得るはずである。こうした観点から実地調査を行い、これらの像の思想的背景を明らかにし、各像が造像当時果たしたであろう役割を明らかにしたいと考えている。当時の造像活動は所依経典に忠実にしたがっており、きわめて現世利益的な役割を与えられて

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