鹿島美術研究 年報第22号
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―79―K村野藤吾に関する美術史上の研究 ――造形と形成過程について――増え、また、実際に彫刻の数も増加し、その装飾は多様になる。ストラスブール大聖堂の西正面もこのような様相を呈す典型的な例として取り上げられてきた。そして、これまでの研究により、個々の図像の解釈はよくなされ、また、神学思想との関連で、未だ解明には至っていないが、図像プログラムの存在も指摘されている。しかしながら、従来の研究においては、中央扉口上方に配されたソロモンの玉座の重要性は看過されてきた。申請者は、この図像が、西正面のモチーフとして用いられるのが非常に稀であり、また、着座したソロモンを含むソロモンの玉座において、当大聖堂の作例が、現存する最も早い例であることに着眼する。そして、この図像こそが西正面に独自性と統一性を与えている、と想定する。そこで、これまでの研究で顧みられることのなかった、ソロモンの玉座と他の彫刻との関連、に注目し、ソロモンの玉座を中心に据えた、全体の図像プログラムの解釈を試みる。その際、これまで扉口の図像プログラムの研究から外されてきた、西正面にある3体の世俗の王の騎馬像も考察の対象に含める。これを、東方の三博士と見立て得ることを指摘し、宗教的主題と政治的主題が並立されている点を明らかにする。その過程で、フランスとドイツの国境という地理的な要素、ハプスブルク家との関わりを含む、当時の社会史、政治史的要素も視野に置く。これらの研究を通して、ゴシック期の代表的な聖堂のひとつに数えられる当大聖堂の、その特異性を明らかにする。研 究 者:京都工芸繊維大学大学院 工芸科学研究科 博士後期課程総合芸術と言われる建築は、文化的な側面も持つものである。しかし、昨今、建築が合理化と工業化の波にさらされて、無味乾燥なものになりつつある。経済の低迷。建設サイクルの急速化。職人の高齢化など社会情勢の変化に起因するところが大きいが、制作過程において、CAD(コンピューターによる作図)の活用が主流となり、手書きによる作図はほとんど行われないことも大きな要因の一つである。村野が活躍した時代には、CADは一般化しておらず、図面はすべて手書きである。村野事務所福 原 和 則

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