鹿島美術研究 年報第22号
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―80―CADはあくまでもツールであり、合理的で便利なものである。ツールは使い手次第の図面は、密度が高く1枚の紙面に平面詳細、立面詳細、矩形を同時に表現する独特の手法などが見られる。また、やわらかい線を重ね合わせた手書きのスケッチがしばしば、ハードラインの製図にオーバーラップして描かれ、村野が粘土の模型をいじって形を調整したことが伝わっているが、それと同じ考察プロセスを設計図上の素描から読み解くことも可能である。従来、建築はフリーハンドのスケッチから始まって、手書きの図面で表現されてきた。手で考えるという言葉もある。物事の順序から表現すると「考えてから書く」ので当たり前であるが、書きながら考える、或いは、考える前に手が動くことがあり、考える=書くという構図が浮かび上がってくる。一方、で如何様にも活用できる筈であるが、その機能の作用から、成果物が、影響を受けることが多々あると推論する。コピーや反復の容易さは、画一化や部分の使いまわしによる形骸化を誘発し、フリーハンドに連動するところまでインターフェイスが発達していない不自由さは設計業務に携わる私の実感であり、多くの著述で指摘されているところである。村野の図面を検証し、その作品を実現させるために行われた表現を追う。いつの時期如何なる意思表示を行った結果出来上がったかということが、ものづくりのエッセンスである。村野の図面を見直すことは、従来の建築作法を見直すことでもある。特に晩年は壁は垂直であるといった既成の概念を越えた有機的な曲線で建築の優美さを表現した。そのデザインは建築の詳細デザインに加えて、作り付けの家具、椅子、机などの家具、照明器具、サイン、看板、オブジェなどあらゆる箇所に亘っており、総合芸術としての建築を体現している。同時代の建築家の中で村野の芸術性は突出していると言っても過言ではない。大学においては、大学院生、学部大学生も設計図面の整理、調査作業に携わっているが、実際の図面に触れることにより、そこから多くの建築に固有の事象を読み取る機会になる。また、その位置付けを検証した設計図面および関連資料は、大学教育における生きた教材となることが期待される。

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