鹿島美術研究 年報第22号
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―81―L第一次世界大戦前のフランスにおける美術批評と「伝統」研 究 者:お茶の水女子大学大学院 人間文化研究科 博士後期課程近年のキュビスム研究は、様式分析についての議論をひとまず離れ、社会の中で作品・言説形成がいかに行われたかに重点が移っている。先行研究は、この時代のキュビズムを擁護する批評家がしばしば伝統に言及している点に関して、当時台頭しつつあったナショナリズムとの関連において読み解いている。だが、たとえばカミーユ・モークレールが「芸術におけるナショナリズム的反動」(1905年)で芸術の右傾化を懸念したのに対し、タンクレード・ド・ヴィザンがすぐさま「政治と文学を混同しないように」と異を唱えているように、現実社会の政治信条と、芸術の場の中での言説形成は、その関係性を否定できないにしろ、完全な相似形を描いたとは言いがたい。こうした政治と言説とのずれは、言説が形成された場において現実の政治とは別の力が作用していたことを意味する。本研究は、先行研究が試みた政治との関連性を問い直し、美術固有の文脈の中で批評の分析を試み、その別の力を明かにする点に意義があると思われる。本研究を進めるにあたって、申請者は、印象主義やセザンヌ、ゴーギャン、および19世紀後半の画家たちが、どのようにして「フランス美術の伝統」のなかに組み入れられ、どのような規範を形成したか、それが前衛美術を批評する際にどのように利用されたかを検証する。具体的には、レオンス・ベネディットによる1900年万博の「フランス美術の100年展」カタログや、サロン・ドートンヌ批評、1905年にシャルル・モリスが行った「芸術の現状に関するアンケート」やモーリス・ドニの著述等において、近代までをも含む「フランス美術の伝統」がどのように、またいかなるものとして確立したかを分析する。さらに同時代美術―とりわけキュビスムを批評する際に、この「伝統」との関連性の主張が何を意味したのかを明らかにしたい。最後に網膜的な写実を超え出ようとしたキュビスム画家において、こうした「伝統」との連続性の意識によって、モデルニテの美学への疑念、古典主義への傾斜が深まり、それが作品にどのように立ち現れているのかを検証したい。橋 本 顕 子

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