鹿島美術研究 年報第23号
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―14―て財団賞にふさわしい優れた論文であると判断する。② 2005年度助成金贈呈式2005年度「美術に関する調査研究」助成金贈呈式は、第12回鹿島美術財団賞授賞式に引き続いて行われ、選考委員を代表して、高階秀爾・大原美術館館長から2005年1月24日の助成者選考委員会における選考経過について説明があった後、原常務理事より助成金が贈呈された。③ 研究発表会本年度の研究発表会は5月13日鹿島KIビル大会議室において第12回鹿島美術財団賞授賞式ならびに2005年度「美術に関する調査研究」助成者への助成金贈呈式に引き続いて、財団賞受賞者とそれに次ぐ優秀者である計4名の研究者により次の要旨の発表が行われた。文化庁文化財部美術学芸課 文部科学技官 増記 隆介代後期に我が国において成立したものとされる。ただし、中国唐代から元代における普賢菩薩像の遺例を概観すると、その先蹤となり得るような普賢菩薩に天女形の眷属が伴う図様を見いだすことができる。我が国における普賢十羅刹女像の図像形成に際して、規範とすべき大陸の先例のあったことが想像される。さて、普賢十羅刹女像の研究史においてその濫觴が我が国にあるとされてきた理由我が国の法華経美術の歴史において、平安時代後期から鎌倉時代を中心に「普賢十羅刹女像」と呼ばれる一連の画像が描かれたことは、記録の上からも知られ、現存作品も二十点余りを数える。『法華経』「普賢菩薩勧発品」第二十八、および『観普賢菩薩行法経』に説かれる普賢菩薩の影向に『法華経』「陀羅尼品」第二十六に法華経信仰者を護持すると説かれる二菩薩、二天王、十羅刹女、鬼子母をあわせ描いた普賢十羅刹女像の図像は、平安時研究発表者の発表要旨「和装十羅刹女像の図像形成に関する研究―扇面法華経冊子・平家納経を中心に―」

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