鹿島美術研究 年報第23号
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―18―《三人》=「合」という弁証法的な構造がある。つまり、《画家の像》が「神のごとき芸術家」という「理想の自己」のイメージであるのに対して、《立てる像》は「孤独な愚か者」という「否定的な自己」のイメージであり、両者は矛盾するが、その矛盾は「現実の自己」と「新たな理想の自己」を描いた《五人》《三人》によって解消する。このように、松本は3点の作品にそれぞれ意味の異なる自己イメージを描くことを通じて、彼の内面の問題に取り組んだのである。国立新美術館設立準備室 研究員 宮島 綾子によって作品の帰属や制作年代といった基礎的な問題が論じられていたが、1994年のプッサンの大回顧展の開催を契機に研究が著しく進み、1994年(パリ、ローマ)、2000年(ローマ)と相次いで、プッサンと周辺画家の展覧会が開催をみた。また、1996年にはルメールの初のレゾネが刊行された。これら近年の研究では、プッサンと彼らの古代受容のあり方が、重要な論点のひとつとして取りあげられている。本発表では、こうした昨今の研究の流れを踏まえながら、プッサン、ルメール、ステラの3人のフランス人画家による古代受容を図像学的な見地から考察する。プッサンが1627年から28年頃に制作した《バッコスの養育》(ロンドン、キャドガン・ファミリー・トラスト)には、幼いバッコスが山羊に乗り、背後からニンフに支えられながら前進する様子が描かれている。ルネサンス以降の絵画や版画には、バッコスの誕生の場面はしばしば見出されるが、プッサンのような図像は、管見の限りでは類例がない。その一方で、モザイク、カメオ、石棺などの古代作例には、動物に乗る幼児バッコスの図像が頻出している。このことから、プッサンはバッコスの視覚的(Nicolas Poussin, 1594−1665)は、1630年代にかけて、Lemaire, 1601−1669)、ジャック・ステラ(JacquesStella, 1596−1657)ら同世代のフランスの画家たちと1624年にローマに赴いたニコラ・プッサン同じくかの地に滞在していたジャン・ルメール(Jean親しく交流し、ともに古代遺物を素描したり、時には絵画を共同制作していたことが知られている。プッサンと彼らの活動については、1940年代からブラントら「ニコラ・プッサンとその周辺のフランス人画家における古代受容の一様相」

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