鹿島美術研究 年報第23号
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―29―研 究 者:東北大学大学院文学研究科博士課程後期ポール・セザンヌ(1839−1906)は「現代絵画の父」として広く知られている。いっぽうで画家の作品と、実際に画家が活躍した19世紀後半の社会的・文化的、さらには絵画制作をとりまく状況との関連が十分に考察されてはいない。形式主義的な観点から見た革新のみが強調され、形成された「現代絵画の父」としてのセザンヌではなく、これまで看過されてきたきらいがある、その革新を水面下で支えている伝統的な文脈、そして同時代のある具体的な文脈を調査するのが本研究の立脚点である。先行研究では、精神分析学的な方法論さらには図像解釈学的な方法論によって水浴図の意味が探求されてきた。結果として画家の内面に起因することとなるそれらの解釈は一面的なものであり、いまだに十分な説得力でもって作品を解釈しているとは言い難い。ところでルイス、コールマイヤー等の近年の研究では、画家の生地であるプロヴァンス地方の文化的背景の調査が次第に進みつつある。初期時代の画家を形成したのは、さらには後年の画家が回帰したのは、独自性を兼ね備えたプロヴァンスの文化的土壌であった。そのためセザンヌの諸作品を理解するためにはこの文化的背景の調査を欠くことができない。しかし、先行研究では作品そのものとの具体的な関係が十分に論じられているとはいえない。プロヴァンスの画家、プロスペル・グレジー(1804−1874)とアドルフ・モンティセリ(1824−86)の存在は、この点を明らかにするためにきわめて興味深い。プロヴァンス派の画家であるグレジーは《大水浴、アヴェロンの景観》(マルセイユ美術館、1854年)を制作した。セザンヌ晩年の《大水浴》における人物像との類似点を考慮すると、18世紀の神話的な風景画を彷彿とさせるグレジーの水浴図をセザンヌが知っていた可能性は高い。「プロヴァンスのワトー」と呼ばれたモンティセリは、プロヴァンスにおけるロココ・リヴァイヴァルの中心人物であった。モンティセリも多くの水浴図を制作した画家であった。初期時代から技法の点においても、主題の点においてもセザンヌはモンティセリの影響を受けていたが、その実体は具体的には明らかになっていない。以上の二人の画家やその作品との具体的な関係にかんする調査を進める工藤 弘二研究目的の概要① セザンヌの水浴図研究

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