―31―研 究 者:東京国立博物館主任研究員近年、榊原悟「白絵屏風考証」(『日本美術襍稿』明徳出版社、1998年)、同著「屏風―儀礼の場の調度―葬送と出産を例に」『講座日本美術史』第4巻 東京大学出版会、2005年)、吉田さち子「大宋屏風研究―宮中儀式に用いられた屏風の制作と使用・画題の分析―」(2005年度鹿島美術財団「美術に関する調査研究助成」研究課題)など、宮中における儀礼、典礼の調度である屏風作品の研究が進展している。しかし宮中において最も重要な調度の一つといえる大嘗会屏風については、現在のところ、秋山氏の研究以外に詳述されたものがなく、さらには、実際の作品に即した研究はないといえる。そのような現状において、本研究は、若干例ではあるが、東京国立博物館所在の近世後期に制作された大嘗会屏風の作例を紹介し、屏風にかかわる様々な様相を当該時期における大嘗祭のなかで、その意味を検討し、明らかにしようとするものである。本研究により大嘗会屏風の具体的な様相が明らかにされ、近世における大嘗会屏風制作の諸事情を考察することで、宮中儀礼における屏風制作の先行研究ともあわせて検討することで、公家社会における屏風絵制作の実態がより明らかになろう。さらに、近世後期における画壇状況を視野に入れて考えると、一例をあげれば、内裏障壁画は、近世初期には徳川将軍家が主体となり、その御用絵師である狩野派が中心となって制作されたが、江戸後期には、制作者に京都画壇の絵師が選ばれることとなった。そこでは、江戸時代における朝幕関係の一端が、障壁画制作の場において端的にあらわれたことを垣間見ることができる。秋山氏によれば、平安時代以来の大嘗会屏風は、和絵屏風(やまと絵屏風)と本文屏風(唐絵屏風)の二形式が、当時の一流の絵師、書家、歌人によって調整され、天皇が和漢の世界を空間的にも時間的も手に入れたことを指摘している。以上のような絵画作品のもつ政治的意義を考えるとき、本研究の対象となる大嘗会屏風も、朝廷が主体となってとり行われる行事で用いられるが、その絵画制作の場に当時の政治的影響が何らかの形で及ぼされたと考えてよい。したがって、大嘗会屏風の作品研究は、江戸時代における朝幕関係を検討する上でも、重要な指標の一つとして捉えることができよう。松嶋 雅人③ 近世後期における大嘗会屏風
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