鹿島美術研究 年報第23号
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―32―須網 美由紀④ ヴェネツィア、サン・ジョヴァンニ・クリソストモ聖堂再建時(16世紀初頭)における図像プログラム研 究 者:名古屋大学大学院文学研究科博士課程後期課程本調査研究の目的は、サン・ジョヴァンニ・クリソストモ聖堂再建当時(16世紀初頭)のヴェネツィアにおける社会的・宗教的文脈を考慮に入れつつ、聖堂の図像プログラムを明らかにすることにある。サン・ジョヴァンニ・クリソストモ聖堂は、ギリシア教父の一人である聖ヨアンネス・クリュソストモスに捧げられた聖堂である。聖堂再建に際し、ヴェネツィア、15世紀最大の建築家であるマウロ・コドゥッシは、約400m2というかなり狭い敷地に、ギリシア十字プランで中央に大きなドームと四隅に副ドームを戴く、サン・マルコ大聖堂をコンパクトにした形式を採用した。その後、1530年代までの間に建造された教区聖堂の半数以上が、本聖堂をモデルとした新ビザンティン様式の聖堂であった。15世紀後半から再びビザンティン様式が好まれた背景には、コンスタンティノポリス陥落後、ヴェネツィアがビザンティン帝国の正統な後継者として、ビザンティン世界のキリスト教徒を守護する責務を担わされたことがある。本聖堂が、「新たなコンスタンティノポリス」としてのヴェネツィアの宗教的・政治的使命を象徴する建築物の一つであったことは、すでに建築史学を主とする多くの文献や研究によって明らかにされている。しかしながら美術史学の分野では、こうした当時の歴史的状況が、未だ具体的な相の下に明らかにされていない状態にある。本調査研究で採り上げる、トゥッリオ・ロンバルドの祭壇彫刻、セバスティアーノ・デル・ピオンボの主祭壇画、及びジョヴァンニ・ベッリーニの祭壇画は、現在もなお、ほぼ聖堂が再建された当時のまま設置されており、聖堂の図像プログラムの解明を通じて、以上のようなヴェネツィアの思想的背景を具体的に示すことができる、格好の貴重な歴史的資料であると思われる。さらに本聖堂が多くの教区聖堂のモデルとされたことを考慮すれば、聖堂の図像プログラムの解明は、その後のヴェネツィアの政治的・宗教的思想の変遷をたどる糸口として、意義は大きいであろう。

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