―35―じめたのか、初期の宗教画においても、その片鱗が推定されるのか、大衆的な表現が女性像(聖母マリアや聖女の姿)に、わずかにでも見られるのか、あるいは何故表現されていないのか。これらの問題を実際にサラゴサに出向き調査することを、このたびの主要な目的としている。研 究 者:筑波大学大学院人間総合科学研究科博士課程本研究の目的は20世紀前半期のアメリカ合衆国における東アジア美術の受容という大きな枠組みの中で、東アジア美術商山中商会が市民の美的感性の形成にどのように寄与したかを解明することにある。これまでアメリカにおける東アジア美術の受容に関しては、作品の分析などと共に、研究者やコレクターに焦点を当てた研究が進められ、彼等の活動の原動力となった思想や育まれていった感性についての様々な論考が提出されている。同時にこの時期に、市民にとって東アジア美術への熱狂の場であった万国博覧会に関する調査も進んでいるが、これらは個人、若しくは私的なサークルの活動や短期間の現象に立脚しているため、狭い視野しか持ち得ない場合が多い。そこで本研究ではおよそ半世紀という長い期間とその間の変化を対象とし、一現象としての東アジア美術受容ではなく、アメリカ都市市民及び社会における東アジア美術の吸収と展開に注目するのである。これに関連して本研究では、美術又は文化が移動される際の運搬者の意図を取り上げるが、その対象が公権からの圧力よりも経済的変化に重きを置く営利団体だということが特筆される。山中商会は1894年に大阪に誕生し、東アジアの古美術品や、文房具や装身具等を含めた美術工芸品を販売する傍ら、造園業も営み、狆や金魚も商った事業者であるが、その販売戦略が市民の心を捉えたことは、その半世紀間の活動の中で複数の支店を構えるに至った発展を見ても明らかである。近年の研究において美術普及や輸出に対する公的な意図を検討の対象としたものは多く見られるが、私的な事業者を対象とした実証的な研究は見られない。そのため本研究では、ニューヨーク市民の東アジア美術鑑賞のための感性の形成に関与し続けたと称された山中商会が展開した事業とその意図を分析し、この営利団体がもたらした美術品が市民の感性の形成に寄与したことを明らかにすると共に、この時期のアメリカ社会に受け入れられた小熊佐智子⑦ 20世紀前半期のアメリカ合衆国と東アジア美術――山中商会の活動を中心に――
元のページ ../index.html#52