―38―研 究 者:豊田市美術館 学芸員古典古代彫刻の石膏像という見慣れた、しかし疎遠な対象に焦点をあてる本研究の意義は、看過された視覚文化の回復にある。近代日本は19世紀後期に西洋の美術を「一括」受容したがゆえに、西洋的古典は紹介されるがいなや、より近代的な視覚言語の流行(外光派以後の展開)、あるいはより国家主義的な制度の確立(日本画、日本的古典)をまえに相対化され、アカデミズムの一領域に留め置かれる。そこにおいて唯一積極的に活用された「古典」が初学者の素描研究のための古典古代彫刻石膏像であった。今日の視点からすれば、それらは一律・等価の教材であるが、19世紀後期においては、なお18世紀の古代趣味の流れを汲む精巧かつ高価な模刻であり、当時の古典古代観を反映したものであった。実際フォンタネージャラグーザがもたらした工部美術学校旧蔵の彫刻群にはヴァティカンの大理石像を原作とするものが多く(新古典主義の彫刻家、カノーヴァの作品も含まれる)、その後、昭和初期にフランス、アメリカより得た石膏彫刻とは性質を異にするようである。国内外で調査を行い、この差異を分析することは、単に日本近代の特殊を語るのみならず、西洋における古典古代観の変容という大局とも連動する可能性を有するはずである。同時に、欧米における歴史的な石膏像保存の基準、現状をあわせて紹介することで、日本国内の初期石膏像の保存修復の必要性と緊急性を指摘したい。加えて、描かれた石膏像の調査分析を行う。この種の課題はそれ自体として取り上げられたことがなく、系統的な図像様式分析の待たれる分野である。それらの視覚史料を通して、石膏像に対峙する眼差しの再構成を試みたい。また、同様の分析を、戦後の教育のなかで「量産」される石膏デッサンに対しても試みる。教育における創造性(の有無)といったテーマに絡められがちなデッサンの問題を古典古代の形象がいわば「虚ろなイコン」として流通する状況として再提示する本研究の立脚点は、問題の歴史的側面を明るみに出すうえで極めて有効なものだろう。金井 直⑩ 古代彫刻石膏像の機能と歴史――近代日本における導入・展開を中心に――
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