―39―研 究 者:山口県立美術館学芸員 杉野 本研究は、住吉法眼を中心に南都絵所を取り上げる初の本格的な研究である。南都絵所については森末義彰氏、亀田孜氏、平田寛氏らをはじめとする先学により史料・作品両面からの解明が積み重ねられてきた。特に住吉法眼については、亀田氏が『本尊目六』の記録から「二天像」の筆者にあてたことが特筆される。しかしながら尊智など興福寺に残る他の絵師と比較すると具体的な絵師像に迫る史料は僅少であり、また迫ろうとした研究もなかった。その画業は依然、全く不明といわざるをえない。『大乗院寺社雑事記』や『本尊目六』など室町期興福寺の史料からは、住吉法眼とは鎌倉復興期の興福寺別当信円と同時代に活躍した絵仏師で、尊智や宅間法眼に並ぶ技量をもっていたことが知られる。またその作風についてもこの両者と明確に分けられないようであるが、これらの記述が何を示すかは申請者が取り組む大きな課題の一つである。本研究はこれらの共通点や相違点を史料、違例から丁寧に見出すことにより、住吉法眼像を浮かび上がらせることを主な目的とする。またこれによって得られた成果は、尊智・尊蓮ら鎌倉時代の南都絵画の一翼を担った絵仏師らの解明へも寄与するものとなろう。南都絵所座と南都絵画をめぐる研究では、各絵所座の作風、現存作品の帰属、絵師らの個別研究がいまだ大きな課題として残されている。これを鑑みれば、松南院座を中心に作品と作風の分析を進める本研究の意義はより高まるといえよう。また、「住吉」を冠するという共通点から近世に同一視される住吉住人慶忍の分析も、本研究に密接に関係するものである。「絵過去現在因果経」という基準作の知られたこの絵師を、尊蓮ら具体的な作例の知られる同時代絵師と相対的に位置づけることにより、その評価も積極的に行いたい。さらに、本研究は近世住吉派研究にも寄与するものである。住吉派の成立は鎌倉時代の住吉法眼、あるいは慶忍、また慶恩を遠祖とするが、その詳細はいまだ不明である。申請者はこの解明には鎌倉絵画研究の進展も不可欠であると考えており、特に住吉派関係をはじめとする近世史料も積極的に参考にする本研究の成果は、これにも貢献できるであろう。愛⑪ 鎌倉時代南都絵仏師住吉法眼に関する基礎研究
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