鹿島美術研究 年報第23号
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―41―を見せている。また、その動向として重要なことは、肖像画が、美術史学と日本史学が共有し得るイメージ史料であるとの認識が定着しつつあることだ。神護寺蔵《伝源頼朝像》をめぐる論争は、その最たるものであろう。肖像画の一ジャンルとしての「子どもの肖像画」は、①中世末期になって制作されるようになること、②他の肖像画以上に、像主に対する愛情が強く働いていること、などの特異性が指摘されてきた。つまり、「子どもの肖像画」研究は、美術史学的な肖像画研究としての意義はもちろんのこと、社会における子どものあり方や、〈子ども観〉の解明に迫ることができる研究テーマなのである。しかしながら、膨大な数の肖像画作品の中にあって、「子どもの肖像画」は極めて少ないこともあり、肖像画研究において周縁的な位置付けをされてきたことは否めない。これまで、断片的な作品紹介は多くあっても、「子どもの肖像画」という視角からのまとまった考察は、景山純夫「慈愛と追慕 童子肖像画について」(『古美術』86号、1988年)が唯一といえるのではないだろうか。そこで本調査研究では、まず、「子どもの肖像画」の全国的な所在状況の把握・確認作業を行い、今後の肖像画研究において不可欠となるような基礎的データの収集・構築を目指す。次に、個々の作品の美術史学的な研究とともに、肖像画全体における「子どもの肖像画」の位置付けを明らかにしたい。そして、日本社会において「子どもの肖像画」が担った意味について、歴史学的視角からの考察を試みたい。本調査研究による成果は、肖像画研究はもちろんのこと、〈子ども史〉研究や、〈家族史〉研究などの分野にも寄与するものと考える。研 究 者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程ドイツ・ロマン主義の代表的な画家として知られるフリードリヒは、初期から晩年にいたるまで「四季」を描いている。「四季」連作では、一日の4つの時と四季、そして人生の4段階が同じ連関のうちに表されている。本テーマに関する従来の研究で、プラッテはドイツ・ロマン派の思想や文学と結び付けて精神史的解釈を行った。メルカーは政治的意味を論じ、ラウトマンは社会的状況から解釈し、ミッチェルは地質学の影響を指摘しているが、いずれの説も決定的なものではなく、本作品についての研落合 桃子⑭ フリードリヒ「四季」連作――図像的検討と19世紀初頭の歴史認識――

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