―42―究は未だ不十分であると言える。驚くべきことに、美術史研究の基本である作品の図像的検討が、本作品群については十分には行われているとは言い難い。風景画による「四季」連作は16世紀以降に一般的になったが、フリードリヒはこうした伝統に従いつつも、新しい解釈を加えている。本研究では、絵画作品だけでなく、先行研究では検討されていない、版画や出版物の挿絵などの当時流布していた視覚イメージを調査し、本作品の図像的特徴を明らかにする。その上で本研究では、ドイツ・ロマン派の歴史認識・世界観に着目する。思想や文学、自然科学といった個々の枠組に留まるかぎり、「四季」の表象を十分に理解することはできない。そもそも、いくつかの場面から成り立つ「連作」とは、複数の時・場面の連鎖であり、時間や歴史認識と深く結びつく。事実、画家の友人シューベルトは画家の「四季」連作について「自然の四季、人生の四季として描かれた人間という自然の形成史(die Bildungsgeschichte unsrer Natur)」と述べている。本研究では、フリードリヒの「四季」連作を、社会的・政治的状況も含めたダイナミックな歴史認識・世界観の変革に照らし合わせ、新たな解釈を提示する。19世紀初頭のドイツの画家たちは「四季」をテーマとした数多くの作品を残しているが、ドイツ・ロマン主義絵画における「四季」の包括的な研究は皆無である。19世紀前半のドイツは政治的・社会的に大きな変革の時代であり、四季の表象にもそうした時代状況が反映されていると考えられる。本研究を通じて、ドイツ・ロマン主義絵画の「四季」を歴史的観点から考察する契機としたい。研 究 者:金沢美術工芸大学美術工芸学部助教授いわゆるチェコ地域は、1526年から1918年まで、ハプスブルグ帝国に含まれていた。中央ヨーロッパにおける最初の東洋美術コレクションは、プラハを正式な住まいとした皇帝ルドルフⅡ世(1552−1612)で、日本漆器も収集されたという。次に東洋への関心が高まったのは、17世紀の後期で、西部ボヘミア地方の貴族階級の間で18世紀に入るまで流行した。日本漆器の収集がピークに達したのは1700年頃で、古城などに伝来した江戸時代の日本漆器の多くがこの時期に購入されたものである。再び日本への山崎 剛⑮ チェコ共和国における日本漆器コレクションの特徴とその歴史的背景
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