(1593−1652)には、《豆を食べる老夫婦》、《喧嘩する辻音楽師》、《盲目のヴィエル弾―44―どのような伝来の経緯をたどったかをさぐることは、2人の室町将軍の人物イメージの歴史的変容を考察する試みともなるであろう。ことである。室町幕府将軍となった足利氏は、肖像や絵巻物・障壁画などを通じて自らの正当性を喧伝していった特異な一族でもあった。しかしながら、これまで足利氏の肖像に関する研究は少ない。本研究では、これまでその存在を知られていながら、十分に研究されてこなかった神護寺所蔵の《足利義持像》と東京大学史料編纂所所蔵《足利義持・春日神主師盛連座像》という2つの肖像画を扱う。その制作目的の考察から浮かび上がってくるのは、足利氏の勝軍地蔵と春日地蔵への強い崇敬である。義満・義持の度重なる春日社参詣は、室町社会に大きな影響を与えていったと考えられる。また勝軍地蔵信仰に裏付けられた日輪の文化は、同時代の肖像画にも少なからぬ影響を与えていったことを論証できるであろう。――慈善の観点から――研 究 者:慶応義塾大学大学院文学研究科後期博士課程17世紀前半にロレーヌ公国で活躍した画家、ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥールき》といった社会の最低層に生きる人々をモニュメンタルに描いた作品群がある。これらの作品は、ラ・トゥールが目にした日常を描写した風俗画であるとされてきた。そして、作品が画業の中期までに集中していること、表現が実にリアリスティックであることから、多くの先行研究者は、初期から中期の「容赦ないレアリスム」から、後期の「幾何学的に単純化された造形」へと至るラ・トゥールの様式変遷の問題として言及してきたに過ぎない。しかし、これらの主題が1640年頃を境にほとんど描かれなくなったことを、ロレーヌ公国の歴史やフランスの貧者救済の社会史に重ね合わせれば、それが単なる現実の情景の描写というだけではなく、当時の人々の貧者に対する感情を反映するものであったと考えざるを得ない。本研究では、上記主題のうち、ラ・トゥールが長年にわたり、構図を変えつつ描き続けた《盲目のヴィエル弾き》を取り上げ、「慈善」という観点から考察する。ラ・むろまちびと第2に、足利氏をはじめとする室町人がもっていた地蔵信仰の様相を明らかにする大谷 公美⑰ ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥールによる「盲目のヴィエル弾き」
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