―47―7伊藤若冲の版画作品研究――《著色花鳥版画》を中心に――研 究 者:大阪市立住まいのミュージアム 学芸員19世紀半ばからヨーロッパ先進諸国において開催された万国博覧会は、強大な工業力を背景に各国のナショナリズムに支配された場であり、生産された工業製品の展示によって国力を誇示するステージであった。日本にとって博覧会は、国内産業の発展を促すと同時に、海外における市場調査によって貿易拡大に結びつけ、貿易赤字を解消することと、国の文化の水準の高さを示し独立国としての日本の地位を確保することの二つの大きな目標があった。そのような海外における日本の文化レベルを示すものとして、政府は外国人の高い賞賛を得た陶磁器、漆器、七宝、染織、金工などに注目し、これらの制作を勧める。そこで制作され、輸出されたスタイルは、外国人に対する「わが国固有の美」という認識に基づくものであった。こうした背景で制作された七宝は、他の工芸と比べて最も急速にその技術を進歩・発展させ、それによってさまざまな表現方法が可能となる。もともとは胎である銅版に線を模様として植え付け、その間にペースト状のガラスの粉を埋め込んで焼くことを繰り返す、という有線七宝が始まりであり、この技法によると、きわめて装飾的な図案にしかなりえなかった。ところが技術の進歩により、線を隙間なく埋めなくても剥離しないことによって余白の部分が生まれ、さらに線を抜いてぼかしの効果を得ることも可能になった。さらに精巧な技術によって、より陶磁器のような、水墨画のような、金工品のような質感を得ることにも成功する。自由な表現技術を手に、図案は海外の求めに応じると同時に「日本的なもの」を模索し、制作していく。明治・大正期に求められた「日本的なもの」の図案とはどのようなものであったのか、開国後の激しい変化に満ちた時代に制作された工芸を、図案を通して検証し、位置づけることを目的としている。研 究 者:関西学院大学大学院文学研究科研究員《着色花鳥版画》は、伊藤若冲によって拓版画と呼ばれる《乗興舟》、《素絢帖》、畑後藤健一郎智子⑳ 近代七宝工芸の図案に関する基礎的研究
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