鹿島美術研究 年報第23号
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―49―9遠藤香村の基礎的研究である。また、許六は多くの著作を世に出している。これらは、彼の思想および人となりを知るのに豊富な話題を提供してくれる。画を得意としただけあって、その記述の中には、直接画について言及した部分も見られる。例えば、遠くの人を描くには目鼻をあらわさないという記述からは画論を学んだ跡がうかがえ、芭蕉に画を求められたという記述は、芭蕉や他の門人が句を記して許六が画を描く画賛類が多く現存することとも合わせて、許六の画才は、晩年の芭蕉一門の中で重視されていたことがうかがえる。このほか、詩歌俳諧と画とは根源はひとつであると述べるなど、彼の絵画観そのものを示す記述もある。これら著作の記述を現存作品とも照らし合わせて綿密に考えていくことが、許六画の全貌を浮き彫りにする上で非常に重要なことと判断される。許六はまた、俳画のみならず本格的な大画を手がけていることも注目される。彦根・龍潭寺に伝わる方丈襖絵群は許六の筆と伝え、このほか、《四季耕作図》、《近江八景図》、《唐獅子牡丹図》などの屏風も確認されている。俳画と大画との関連も合わせて検討すると、許六画の特色がより鮮明となる。以上の考えに基づいて許六の画を明らかにすることによって、当時の俳諧の世界における俳画のあり方を示す資料を提供することができよう。研 究 者:福島県立博物館主任学芸員調査研究の要約にも記したが、江戸時代後期の会津地方の画家・遠藤香村は、多くの作品が現存しており、会津地方の旧家には必ずと言っても良い程何点かが所蔵されている。江戸時代の藩を国に例えるなら国民画家と称せるような浸透ぶりである。こうした、地域の人々に愛好された画家の画風変遷、特長、傾向を明らかにすることは、単に一画家の芸術上の変遷を明らかにするにとどまらず、その画家を愛好した地方の嗜好、気質、流行、言わば文化的好みを明らかにすることに繋がるだろう。江戸時代後期の会津という一地方において、幅広い支持を得た一画家の業績は、会津地方の文化の特色を濃厚に反映している。香村の他にも全国各地に同様の画家が存在するであろう。そうした地方画家のデータの集積は、日本美術史全体の奥行きを深める作業として欠かすことのできないものであると思う。川延 安直

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