―50―:北関東における善光寺式阿弥陀信仰――栃木県小山地域を中心として――画家の個性の発露を最も重要な美術史研究の課題とする立場からは、人々の嗜好とその需要に合わせて作品を供給するという画家のあり方は、研究に値しないかもしれない。しかし現に一地方において突出して愛好され、多数の作品が残されている画家が存在したのである。その画業と作品受容の背景に考察を加えるのは決して無意味な作業ではないと思う。美術のみならず文化は少数の天才がリードするだけでは広く浸透しない。絵を求める愛好者が自らの趣味嗜好を標準として画家を育て、また画家はそうした趣味の地盤に刺激を与え地方の文化を育てていく。画家と受容者の相互の影響関係の追究は、美術史研究にとって重要なテーマの一つであろう。幸い、遠藤香村には作品が多く残されているため、調査後に集積した作品の画風、画題などを分析することにより一定の傾向を把握することができる。そこには注文者や愛好者の嗜好の傾向も伺えるであろう。遠藤香村はこうした文化の需給関係を考察する上での格好の素材となる。このような調査研究の手法は、遠藤香村研究に限らず各地で活躍した地方画家の研究に応用できる。江戸時代後期ともなれば、各地域の画壇をリードしその地域に深く浸透した画家は全国に存在する。かれらの地域との関わりを調査し全国的に比較することができれば、美術史研究の基盤は一層の深まりと広がりを持つことであろう。研 究 者:栃木県立博物館研究員栃木県内には、現在知られているだけで十件の善光寺式阿弥陀如来像が伝わっている。また東京国立博物館には栃木県黒羽町で制作された建長六年の善光寺仏が所蔵されており、また宇都宮市・清巌寺には全国的にも稀な画像の善光寺式三尊(室町時代)も伝わっている。さらに、昨年度から開始した小山市内の寺院調査によって、新たに二件の善光寺式仏が確認された。このように、三尊が完備しているものばかりではないとはいえ、栃木には全国的に見ても善光寺式の遺例が多い。これら善光寺式仏の下野における造像には、中世小山氏や宇都宮氏による阿弥陀信仰が背景にあると思われる。また中世下野の地は時宗教団が活発に活動していた地であり、遊行派だけで43カ寺を数えたとされる。時宗は宗祖の一遍以来、善光寺信仰とのつながりが深く、この本田諭
元のページ ../index.html#67