鹿島美術研究 年報第23号
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―51―;松本楓湖研究――制作の実像解明を中心に――時宗の遊行僧による布教も、善光寺式三尊の遺例の多さの一因となっていると考えられる。同様に浄土真宗高田派本山であった真岡市・専修寺(現在は古本山)の存在も大きい。親鷲は聖徳太子にする帰依が深く、特に初期真宗教団において聖徳太子信仰は中心的存在であった。この聖徳太子信仰と善光寺信仰とが結びついた鎌倉中期以降、真宗信者の間に善光寺信仰が一気に広まった。先学の研究によると、真宗高田派はまた、「善光寺如来絵伝」を布教に用いており、これら真宗教団の活動も下野における善光寺信仰の広がりと大きな関係を持つものと考えられる。小山地域はまた、上野・常陸・武蔵と近接する地政学上の重要拠点で、現在でも交通の要であるが、文化的にもこれら北関東諸地域と密接なつながりを持っている。今回、小山地域を集中的に調査することにより、善光寺式三尊を代表とする、北関東の信仰と文化の相関関係を紐解くことが出来るものと思われる。これまでは他県でも各尊像単位での研究しか行われておらず、他地域との影響関係については言及されてこなかった。本研究により、中世における北関東の信仰世界の全体像解明の糸口が見出されるものと思われる。研 究 者:茨城県近代美術館副主任学芸員1.作品目録の作成はじめ代表作の多くが所在不明であることも、評価の妨げとなっている。そのためにも、当時の資料写真なども活用して、広く楓湖の作品を収集しその作品目録を作成する。茨城県内、特に出身地の新利根町周辺には、個人所蔵の作品が眠っていると考えられるので、その掘り起こしにも力を入れる必要がある。同時に贋作も相当数に上ると考えられるので、落款・印譜の整理を進めていく必要がある。この落款・印譜に関しては、画題や容斎の粉本利用の有無により表記の違いが従来指摘されているが、その具体的かつ体系的な分類整理を通して、この点に関しても考えていきたい。これらを通して、年代による容斎の影響や西洋画摂取の様相など、画風の展開を明確にすることができる。2.容斎との比較検討関係や逆に楓湖の独自性については、「菊池容斎と明治の美術」展で触れられたほか本研究の目的が松本楓湖の再評価にあるが、展覧会出品作を従来から容斎の忠実な継承者とされるばかりで、その影響中田 智則

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