鹿島美術研究 年報第23号
73/102

―56―住吉家の絵画製作について――松平定信との関係に注目して――等での資料調査を行う。このような幅広い調査・研究により、和田英作の装飾美術関連の研究を深化させてゆきたいと考えている。研 究 者:財団法人 徳川黎明会学芸員本調査研究の目的は、大きく二点挙げられる。一点目は、江戸絵画史における住吉家の位置づけの一端を具体的に明らかにすること。二点目は、寛政から享和期にかけて活躍した住吉広行の絵画製作を通じて、松平定信を中心に国学者や武家方の知識人が需めた絵画の様式を明らかにすることである。一点目を目的とする意義は、住吉如慶を祖とする住吉家が、何故、代々狩野家と共に幕府の御絵師に任じられていたのかという点を念頭に検討することで、幕府が御絵師の絵画製作に期待した意図がより明らかになると考える。二点目を目的とする意義は、二つある。まず一つは、江戸時代の国学の興隆が絵画に及ぼした影響について、従来の江戸絵画史ではほとんど指摘されることはなかったが、この盲点を明らかにする点である。江戸期の国学者の著作物に目を通すと、絵画に関する記事が散見され、絵画史において看過できない問題であると考える。また、こうした国学の興隆と密接に関係する松平定信による『古畫類聚』や『集古十種』の編纂事業が、以後の絵画製作に与えた影響についても検討の余地が多分に遺されている。二つ目の意義は、松平定信下での絵画製作のさらなる研究の深度を増すことにある。定信下の絵画製作については、従来江戸絵画史では谷文晁の活動が特に指摘・研究されてきた。しかし、住吉広行もまた、寛政度御所造営に際しては《賢聖障子図》揮毫を任じられ、さらに関西の古社寺所蔵の宝物調査を命ぜられるなど、定信の下命による重要な御用を果たしていた。申請者は、文晁と広行には異なった絵画製作が定信より期待されており、言うならば文晁は「自然の景に〈正確な〉絵画製作」を命じられ、一方住吉広行には「当時最先端の時代考証に基づいた〈正確な〉絵画の製作」が期待されていたのではないかと想定している。以上、本研究は、一絵師の絵画制作に留まらない、江戸絵画史においてこれまで盲点であった点に光をあてる点に価値があると考えている。鎌田 純子

元のページ  ../index.html#73

このブックを見る